DT200Aの庫 (goo-blg)

30年前の06月 また゜まだ国鉄の雰囲気を残す大沼駅近く


 この当時は木々が生い茂る事なく、まだ大沼湖が良く見えました。DF200も試験段階で本格的には投入されておらず最後の華を咲かせていた時代でもありました。余談ながらこの当時、リバーサルカメラは1台なのに対してモノクロを充填したカメラは2台を持って撮影したと言う面白い時代でもありました。    91,06,20 七飯―大沼公園 4061レ TMY スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

 30年前の06月には大沼付近で撮影しています。この年、復活したC623号機が小樽―倶知安間を修学旅行の臨時列車を牽引すると言うので日勤勤務で連休は職場ではかなり顰蹙でしたが無理を承知で渡道しました。
 この時は自分の車ではなくM氏の車に便乗させてもらいました。記憶によれば出発前日の06月16日は残席3様のご結婚式で、ここで同席したM氏と披露宴会場で最終打合せをして翌17日の08時に高崎線宮原駅で私をピックアップしてもらい、途中で南部縦貫鉄道を撮影しながら青森―苫小牧フェリーに乗船して道内に入り18日と19日はC623号機を撮影し20日はC623号機の運転の設定がない事から大沼まで南下してDD51撮影して、私は帰路に着きましたがM氏は翌日からC623号機の運転があるので北上したと記憶しています。
 この撮影旅行で一番印象に残っているのは連日、好天に恵まれて幸いだったことです。しかしそれは何を意味するのか?陽の出も早く、陽没も遅い北海道で連日雲を見る事もない晴天と言う条件下だと朝練、夕連の連続で朝は04時前から活動開始、そして一日中撮影して日没は19時を回ってから撤収。そこから宿まで車を走らせ、投宿後に風呂に入ると既に21時近く。そこから軽く呑んで就寝するので23時前。短い睡眠時間で辺りが明るくなると宿を出ると言う日々は本当に充実感とともに睡眠不足を感じた記憶があり、帰路のために大沼駅で突放していただいた後の帰路の列車内では人すら寝た記憶しかありません。


 列車待ちのスナップですがまだタラコのキハ40とキハ22が普通に眺められた時代でもありました。ここから普通列車で函館へ出て、特急と新幹線を乗り継いで帰ったはずですがその道中の記憶は全くありませんでした。     91,06,20 大沼公園  T-Max スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

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