
東海道新幹線東京駅の18番線・19番線ホーム(第9ホーム)には東京駅で唯一のホーム上の立ち喰いそば屋があります。結構、高価な弁当が並ぶ新幹線のホームの中にあって在来線のレベルならけして安くない価格設定ですが500円程度で腹を満たすことが出来るので味は別として結構繁盛していました。しかし新型コロナウイルス渦の中でしばらく休店を余儀なくされ営業再開しても出張族の姿がめっきり減った環境では今まで通りの繁盛は望めず、テコ入れ策としてかつ丼をメニューに追加して更にテイクアウトも始めました。また、この数日後には名古屋名物のきしめんもメニューに追加しました。しかし、東北?上越新幹線のホームならいざ知らずこれから名古屋方面へ向かう東海道新幹線ホームできしめんとは如何に?と苦笑してしまいました。 20,09,01 07:50頃 東京駅 iphone7カメラ機能で撮影

04日は同居人が夜、遊びに行くと言うので”私も!”と思い新横浜機関区へひとり呑みに向かいました。しかしラッキーにもお店では偶然に居合わせた元金沢鉄道管理局キャンペーンガール経験者の方とテーブルを一緒にすることが出来ました。今から30数年前の話ですがキャンペーンガールで経験した話は国鉄末期にもがく苦しみ、それでも明るい話題を提供しようとして苦悩が伺い知れて貴重な話を聞かせてもらえました。あの当時、まだ北陸自動車道など工事も始まっておらず基幹輸送は鉄道主体でした。当然、金沢駅には各地へ向かう列車が頻繁に発着してそれはそれは華やいでいたと思いますが、所詮は地方の鉄道管理局できっぷを買ってくれるのは首都圏か関西圏の人で金沢の地元には収入とならず、よって国鉄本社からの予算も微々たるもので、その状況下でもがき苦しんでいた事が彼女からお話でヒシヒシと伝わってきました。初めてであった人から30年前の地方鉄道管理局の苦悩ともがきが知る事が出来るのも新横浜機関区の良さなのかもしれません。 20,09,04 19:59頃 新横浜機関区 iphone7カメラ機能で撮影

07日は休みでしたが風疹の抗体検査(新型コロナウイルスの抗体検査ではありません)のため品川駅のイーストタワーへ向かいました。このイーストタワーのある場所は今から40数年前、国鉄に入社して最初に赴任した新幹線総局同居人第一運転所のあった場所でこの地に立つと若き日のいろいろな出来事が走馬灯の様に蘇って来ます。今からあの時代に戻れるならもう一度やり直したい事はたくさんあります。でも、それは叶わぬ事。今は若き日のことを懐かしく思える歳になったと言うことかもしれません。
この日は台風20号九州接近のために山陽新幹線は広島―博多間は終日運休となっていました。予報では台風の影響で中京地区も大荒れの天気と注意喚起していましたが品川駅に到着し新幹線改札の前を通ると案の定、新幹線は運転抑止となっていました。そのあと、すぐに運転再開した様ですが、午後も豊橋付近での強風で運転抑止があった様です。 20,09,07 10:32頃 品川駅新幹線南改札 iphone7カメラ機能で撮影

09日も新横浜機関区へ向かい、ひとり呑みを楽しんでいました。別に会話なくても新横浜機関区には多くの鉄道書籍があり自由に読む事も出来ます。また時刻表も70年代から何冊か書棚にあり自由に閲覧出来ます。何気に開いた71年(昭和46年)10月の時刻表の中央線のあるページが気になりました。まだ自家用車もままならない時代、少し遠出するとなると列車を使うのが当たり前の時代です。そのためハイカー客をはじめとして観光客の需要に対応しようと中央東線新宿口には今では考えられないくらい多くの夜行列車が発車していきます、特に金曜と土曜の夜は日付が変わってもどんどん出発していくのがわかります。まさに中央東線が一番華やかな時代だと思います。今の方は存じ上げなくて当然ですが、この当時は新宿駅では列車を待つのにホームでは並ばずに時刻表に書かれた指定の場所で待たなくてはなりません。たいていはアルプス広場(現在は駅改良で存在せず)に並んだり団体待合室に並ぶ事もありました。そして並びだす時間も尋常ではなく23時過ぎの発車と言うのに午前中には長蛇の列になっている事も珍しくありませんでした。まぁ、今で言う桜の花見の場所取りと同じ感覚で何人かで並んで当時ですからギターを弾いて歌ったり、酒を呑んで楽しく談笑したりして既に旅が始まっていると言う感じでした。
この時刻表で気になったのが甲府に03:52と04:14に到着する夜行列車の存在です。少し興味が湧いたので写メしてフェイスブックでみなさんにお尋ねしたところすぐに答えが判りました。この当時、行楽シーズンには甲府駅前を04時代に出発するハイカー用のバスが何本も出ていたと言う事実が明るみに出ました。そうなれはこの2本の列車の存在意義もはっきりわかって来ます。ひとり呑みしているのですがiphoneを相手にフェイスブックで盛り上がりとても楽しい時間を過ごす事が出来ました。 20,09,09 18:41頃 新横浜機関区 iphone7カメラ機能で撮影

↑↓12日は久々に三脚を据えてゆっくり撮影する機会がありました。やはり鉄ちゃんの性でしょうが晴天の下、三脚の脚を出す瞬間からテンションが上り、普段は歳をとり〝あったが痛い!こっちが痛い!〝なんて忘れてしまうのには、自分でも笑ってしまいます。
撮影後にふと振り向くと美味しそうな水が湧いていました。もちろん、美味しくいただきましたが誰もいない撮影地で独り占めして美味しい水をいただくなんて本当に鉄ちゃん冥利に尽きます。 20,09,12 06:27頃 入広瀬―上条 iphone7カメラ機能で撮影


かつて只見線魚沼田中駅近くにボリュームか売りで有名だった”ごはん屋”と言う定食屋があり撮影の合間や撮影後に良く寄りました。特大のカツのわらじカツ定食はそのカツの大きさとご飯の量(もちろんコシヒカリ)でで恐れをなした程でした。その”ごはん屋”が店じまいした事を久々に当地を訪れて知りました。そしてその店の建物はラーメン屋になっていました。道路挟んで向かい側にもラーメン屋があり共倒れしないかと妙なお節介心まで出てしまいました。
只見線の午前中の撮影を終えて昼前に近くの商店に寄る事があったので元”ごはん屋”のラーメン屋の話をしてみると現地では人気店で昼時は並ぶ程との事。それならばと早速立ち寄る事にしました。まだ11:30前だと言うのに店は満席で少し並ぶ羽目になりましたが味・ボリューム共に予想以上でした。還暦を過ぎ、昔の様にたくさん食べれれぬ様になったのに食い意地だけははっていて大盛を注文しようとしたのですが大盛にしなくてよかったと胸をなでおろしました。 20,09,12 11:28頃 ラーメン小馬 iphone7カメラ機能で撮影

近年、熊の生息域が人間の生活圏に進出し熊の出没情報が多くなり事故も発生しています。画像の入広瀬の撮影地でも熊出没の情報看板がありあまり良い気にはなれません。そんな遠くない距離に住宅や温泉施設もある中でも熊が出ると言うのは注意が必要です。もちろん撮影中も周囲を気にしていましたが幸いにも稲刈りが始まり周囲には農家の方がいらして少しは安心が出来ました。 20,09,12 13:11頃 入広瀬―上条 iphone7カメラ機能で撮影

リンゴ特急こと2000系引退以降、訪れる機会を失った長野電鉄ですが久々に良く訪れた信濃竹原駅に降り立つことが出来ました。よく考えると長野電鉄を使っての撮影は初めてなのに驚きました。信濃竹原駅に降り立った気づいたのですが倒壊の恐れがあり立入禁止となっていた駅舎がいつの間にかロープが無くなり中の様子を伺い知れることになっていたのは驚きでした。この駅も昭和中期の地方私鉄の駅舎の典型な造りでいつみてもこの駅が栄華を極めた時代に降り立った見たかったと思います。
この駅の特徴はかつての貨物ホームと貨物扱いの建物も残っている事です。古い駅舎は残っている事もありますが貨物扱い施設は撤去されることが多く小湊鉄道高滝駅などにわずかに残っているだけです。いつまでも地方私鉄が貨物扱い営業をしていた時代の遺構が残される事を期待したいと思います。 20,09,12 iphone7カメラ機能で撮影


15日の長野電鉄撮影では撮影が一番の目的でしたが、もうひとつの目的が本場の美味しいお蕎麦をいただく事も大切な目的でした。昼過ぎに雲が出できたのは私としては好都合でした。14時前に長野駅に戻り駅ビルの3階に向かいました。ここに以前大休パス(大人の休日クラブパス)を利用して昼食だけを目的にこのお蕎麦屋に訪れて美味しいお蕎麦をいただいた思い出のお店です。以前に訪れた際も昼時は外れていたにもかかわらずお店の席はかなり埋まってましたが、今回は新型コロナウイルス渦の影響でしょうか、前回とは比べものにならないくらいに咲いていました。利用者にとっては空いた店内は居心地が良いのは当然ですが、経営側からすれば厳しいと言わざる終えない気がするします。写真はくるみ蕎麦中盛ですが注文の際は〝大盛で!〝と言ったらお店の人が〝やめておいた良いですヨ!〝とアドバイスしてくれて中盛に変更しましたが、近くの人が注文した大盛を見て中盛で良かったと安堵した程でした。
があり 20,09,14 14:45頃 iPhone7カメラ機能で撮影