DT200Aの庫 (goo-blg)

30年前の3月 No2 東海道線ゴハチ荷物列車末期の頃


 東海道線きっての名撮影地だった白糸川橋梁を行く宮原機関区選抜の126号機。かなり減ったとは言え宮原機関区のゴハチは末期まで原型小窓車が残ってました。後にこの橋梁に防風柵が出来るなんて思ってもみませんでした。   84,03,01 根府川 荷32レ EF58126

 30年前の3月と言えば私にとって忘れられない1ヶ月でした。各機関区から下関運転所に集結されたゴハチ(これを当時の鉄ちゃんはゴハチ最後の同窓会と呼んでいました)が山から降りてきたEF62に荷物列車の牽引のバトンを渡すまで残されたわずかな日々、限られた休みを駆使して撮影に没頭していました。当時、晴れていれば必ずゴハチの運用を調べて撮影可能な列車をピックアップして出撃していましたが(・・・と自分ではそう記憶していましたが、ネガを見返すと東武ゴーナナや身延線等にも出撃していただいぶ浮気をしていたみたいです・・・笑)、ゴハチ最後荷レ日々なのにあまり鉄ちゃんの姿は見かけず(当時としては多かったのかもしれませんが、それは有名撮影地に限られていました。)怒号などは無煙・・・もとい無縁の平和な撮影を過ごせました。


 今ならネットで安易に予報を入手出来ますが当時は電話で各地の天気予報を117で確認するした術がなく出撃もかなりの賭けでしたが、このようにバリ晴になるとその感動は今も忘れられないくらいの感動モノでした。   84,03,23 近江長岡 荷2031レ

 ゴハチ荷物末期に下関に集結したゴハチは従来は異常時で運用変更でもない限り撮れなかった列車にありえなかった号機が充当されて興奮した事を憶えています。一例を示すと汐留へ朝一番に上って来る荷34レは長く浜松機関区のゴハチの牽引でした。浜松のゴハチと言えば晩年は全車Hゴムのゴハチで写欲が湧かず被写体として除外して荷34レはほとんど撮りませんでした。一方、米原機関区のゴハチは首都圏へは臨時列車牽引以外は荷36レ―荷37レでしか顔を見せずに朝の光線では米原のゴハチを撮影する事が出来ませんでした。それが下関へゴハチが集結することにより従来はありえない光線で撮影出来るようになり、荷34レに米原選抜のゴハチが充当されたり、米原辺りをエロエロ光線で走る荷2031レに米原選抜のゴハチが充当されたりしてその組み合わせを充分楽しませてもらいました。


 今でもほとんど知られていませんが新所原の東京方には好撮影地が点在して何度か訪れています。また構内もなかなか好ましくお手軽で好んで撮影したきおくがあります。牽引するのは米原の貴婦人と呼ばれたワイパーカバーが装備されている111号機です。   84,03,01 新所原 荷38 EF58111

 ゴハチ荷レ末期は私にとっては一番鉄ちゃん活動が脂が乗っていた時期だと思います。情報もそこそこ入るし、仕事をしているので財力もあったし何より若かったので没頭出来た時期でした。この時期、天気が良い休みの日は間違いなく家には居ませんでした。
 最近は被写体がなくて、天気が良くても出撃しないことも多々あります。病院に行って肝機能維持の注射をしてもらわなくてはならないこともありますが、そんな事なんか言ってられないと無我夢中で出撃する事などほとんどなく本当に”撮るモノがなくなったなぁ!”と実感する昨今です。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

DT200A@SH-11C
もーたーまん様
゛あの人はつまらないブログにいつも投稿しているけど、そんなに暇なのか?゛と噂を立てられかねない中でのコメントに感謝いたします。

 荷36は50.3改正まで宮原のゴハチでした。それまで米原のゴハチ担当で広島・下関のゴハチと共に定期で首都圏には顔を出さないゴハチでした。それだけに荷36ー荷37で米原の綺麗なゴハチが顔を出しだした喜びは忘れられません。
もーたーまん
確かに米原の運用、荷36だと、大船駅先端
で撮影は逆光でした!
キレイなカマばかりの米原でしたね!
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「鉄ちゃん」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事