E表現研究所の「Eから始まる」

E表現研究所所員の、E生活やE活動を自由に語り合うサロンです。

雨ニモマケズ

2008-05-21 13:07:15 | ダイアリー

2008年5月15日(木)
E表現研究所の研修として、アートギャラリーで開催されていた「宮沢賢治展」に行ってきました。賢治と絵本原画の世界という副題がついていて、「雨ニモマケズ」に至るまでの人生と、画家たちが好んで題材にした宮沢作品の絵本原画を堪能してきました。

私は、宮沢賢治という人物について勉強不足でした。というのも、彼が生前に出した本は2冊だということに驚きました。
1924年の自費出版の詩集『春と修羅』(妹の死を歌ったものが収められている)
同じ1924年に刊行された童話集『注文の多い料理店』(故郷の岩手を「イーハトブ:理想郷」と銘打ったもの)

学生時代に仲間と発行した文芸誌や、著名な詩人たちに依頼されて寄稿した作品などはありますが、一般的に作家として評価されて作品化されたのは、ずっと後のことだったのですね。

農学校で教壇に立って教えていたり、卒業生など若者を集めて、稲作りなどの農業講習会をしていました。興味深かったのは、それ以外に、レコード鑑賞会や芸術論の講義、楽団の演奏練習、本やレコードの販売など、農民の暮らしの向上と文化芸術のあり方など、幅広い視野で活動をしていたことでした。
『セロ弾きのゴーシュ』という作品がありますが、彼自身がセロ弾きだったんですね。

そうやって、37歳で亡くなるまでの生涯をたどっていったのですが、チラシにある「雨ニモマケズ・・・」はいったいどこで出てくるのかと思ったら、それは最後でした。病に倒れて、療養中に黒い手帳に書かれた詩でした。有名な詩ですが、彼の生涯をたどったからこそ、ああこの詩なんだと思うことができました。
人のために尽くして生きてきて、それでもまだまだ人の役に立ちたいという願いがこめられているのだと言います。
その思いは、たくさんの作品になって、後世に残されていることで叶えられているのですよね。
私はこれまで、あまり宮沢賢治の作品は読んでいなかったですが、少しずつ読んでみたいと思いました。

ほんの感想程度ですが、皆さんはいかがでしたか。
作品を見ながらメモを取っていたら、ギャラリーのスタッフの方に「ボールペンは禁止です。鉛筆を使ってください」と言われて、鉛筆を渡されました。失敗です・・・

         (M.H