夏の高校野球で活躍した選手たちの代表が、
世界で戦っている。
去年は地元の選手やスター選手が何人もいて、
初めて興奮して応援していたのだけれど、
今年も地元の選手(夏の甲子園には出場していないが)が
活躍していて、すごいなあと母親の気持ちになっている。
夏といえば、
父が亡くなってまもなく3年になる。
最後の入院の時に、ベッドの横にあるテレビには、
夏の甲子園の様子が流れ、
そのときの応援ソングが大好きなコブクロの「ダイアモンド」で、
私にはすごく印象的な場面だった。
野球が大好きな父は、
息子に(私の弟)たいへんな期待をして、
「巨人の星」の父子のように、野球少年にしたかった。
小さい弟の写真はいつも、バットを構える格好で、
実は右利きの弟を、父は右側を内側にして抱き、
左の手を自由に使えるようにして左腕のピッチャーにした。
リトルリーグで期待されていた弟は、
小学校までで野球を辞めてしまった。
体力づくりのためにやっていた水泳を選び、
ジュニアオリンピックで記録を残すまでになり、
大学まで水泳選手だった。
少年野球より前に、地元で盛んだった少年サッカーもやっていて、
体が大きくてゴールキーパーをしていたけれど、
野球のためにサッカーをやめることになったとき、
監督と仲間が全員、うちに引き留めにきてくれた。
そんなときも、父は野球をやらせると頑固に断った。
父は弟が使っていた野球のユニフォームを、
長いこと捨てられずに、いつまでも大事にしていた。
私はそんな父の思いを知っていたから、
毎年、父と一緒にテレビの野球を見た。
地元の野球場で試合のあるときには家族で観戦、
私たちは子どもはピクニック気分だったけれど。
病室で高校野球を見ていた父。
あのときはまだ、父がいた。
私はそんなに野球を好きではなかったけれど、
私はいつまでも父のお気に入りでいたかった。
父が好んで観ていた、相撲だってサスペンスドラマだって一緒に観た。
父には反発したり、嫌いになったりもしたけれど、
本当に私たちのことを想っていることは知っていた・・・
夏が来ると思い出す。
あの夏が残したもの、
テレビに映る野球少年の姿をじっと見ていた横顔。
新聞を広げて読んでいた・・・
不自由になった手でも、自分でご飯を食べられた・・・
お父さんと呼べば、ろれつが回らなくても答えてくれた・・・
夏が終わるときって、せつない。
今は弟も父親となり、
息子が野球少年で、今年はキャプテンだ。
きっと喜んでるね。
お父さん。
ほりかわ
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子どもの素晴らしい将来を願わずにはいられなかったし、祈るお父様のお気持ち良くわかります。
命を繋ぐってそういうことだと思います。