梅雨が開けると、
途端にセミの声が聞こえるようになった。
マンションの2階、いっぱいに開けた窓からは、
セミのいるような木々は見えないのだけれど、
下をのぞいてみたら、
緑の垣根がずっと続いていて、
ああ、ここにセミが潜んでいるんだなあと思った。
潜んでいなければならなほど、
セミがいられる場所がないのだと思うと、
少しせつない気持ちになる。
子どもの頃、
夏休みの誰もいない神社に行くのが好きだった。
なぜ誰もいなかったのだろう。
朝早く、ラジオ体操で近所から人々が集まって来るのに。
朝ごはんのあと、
漢字ドリルと計算ドリルを1ページだけやって、
「なつやすみの友」をパラパラとめくって、
面白くなくなると、
ふと誰もいない神社に行きたくなる。
いつもの細い裏の路地に入ると、
犬のシロがいる家の前をそっと通って、
シロに見つからないように知らん顔をする。
友達のじゅんこちゃんの家の前の道を渡り、
幅の広い溝に沿って50メートルほど進むと、
セミの大合唱が聞こえてきて、
角を曲がると神社の裏手の門が見えてくる。
夏のにおいをかぎながら、
吹いてくる風にまばたきして、
自由を感じる瞬間。
本物の子ども時代は幸せだった。
何も考えず、何かを感じていればそれでよかった。
大人になった今、
家の中に入って来る夏の気配を、
セミの声、空の色、涼しい風の中に、
幼い頃をせつなく思い出しながら感じている。
何かいろいろ考えてしまって、
ただ感じるだけでは生きていられなくなった。
高校野球をぼんやり見ながら、
熱いものから遠ざかっていく私。
ふと気づくと、セミの声が大きくなる。
どこかに行きそうな私を呼び止めているかのように。
ほりかわ