台風が過ぎ去り、
ホッとしたのもつかの間、
残暑がまたくるのかと苦笑い。
ないものねだりで、
もう秋が恋しくなってくる。
さっそく店頭では秋の味覚が出始めた。
今日は農家さんの直売を見つけて、
もう秋だなあと嬉しくなった。
さっそく茹でました。
イケナイ・・・
タベスギテシマイソウ・・・
秋が待ち遠しいのは、
実はこれだったりする。
ほりかわ
【お口ぽかんの夏】
子どもの頃はよく扁桃腺炎で喉痛がり、辛そうにお口をぽかんと開けてました。
今夏は、猛暑。ハアハアと、あえぐように息して私のお口は全開。
酸素欲しさにまたぽかん。
涼を求めてため息ついてお口ぽかん。
仲間との夏の旅、美味しい名物さがし東京と京都に、お口パクパク。
その時、車中の私はおしゃべりで、お口ぽかん。
目的地に着くと、景色を眺めて、天を仰ぎお日様の木漏れ陽や高層建築天井など上を見上げて口ぽかんと感動しっぱなし。
動き回って、帰宅後は、疲れてうたた寝で口ぽかん。
深夜の本番も上むいて寝てるので口ぽかん。
冷房効き過ぎた夏のあそび場に孫たちを同伴し、長時間。
帰ろって言っても、まあだまだという返事。
動き回り楽しい子どもは冷えたって感じない。
ところが、少々冷えた私は鼻つまり、昼間も私の口は開いてぽかん。
夜になっても、私のお口はぽかん、ぽかん。
だのに、お泊りに来た孫たちの寝相を直そうと、夜中に起きて、子どもたちの口がしっかり締まっているのを発見し、遺伝しなくて良かったと、感心してまた、口ぽかん。
口が締まっていた方が、やっぱり賢そうに見えるのは、なぜなのかしら。
扁桃腺炎でぽかんとなった子と、中味は同じ頭なのに???
早く冬が来てほしい。寒さしのげば私だって、きっと、歯も口も締めて、賢そう。寒いから口もきゅっと締めて、両手をきゅっと重ね、きっと、もっと、賢そう。
♪♪夏ゆるみ、口元音頭 冬締まる♪♪
♪みんな光ってみんなE♪
たきいなみき
台風が近づいてきて、
窓の外が気になっている。
天気予報では、何度も台風の進路を説明していて、
ずっと空の様子を眺めていた。
そのわりには昼間は青空が見えていて、
だんだん厚い雲が増えて、
黒い雲が混じるようになるころ、
風が強くなりだした。
この前の台風の影響がおさまらないうちに、
また大雨になりそうで、
今は静かな家の中という安全な場所にいる・・・
子どもの頃に住んでいた家は古くて、
台風のときは怖くて仕方がなかった。
夜になって風と雨ががガタガタを激しく窓をうちつけて、
家が飛んで行ってしまいそうで、
慌てて布団の中にもぐった。
でも、お父さんがいて守ってくれると思っていた。
お母さんは何度も寝ている私をのぞきに来て、
背中をぽんぽんと優しくたたいてくれた。
幸せなこども時代。
大きな手で守られているという感覚があった。
早く遠くへ行ってしまいますように。
こんな夜は、絵本を読んで安心したいと思ったりもしています。
ほりかわ
子どもの頃、尊敬する人はと聞かれると、
迷わず、マザーテレサと答えていた。
クリスチャンであった私は、子ども心に、
ただ素晴らしい方であると思っていた。
数年前、
マザーテレサの修道会でボランティアをしている女性が、
静岡に来られるというので、E表現研究所では講座を企画した。
マザーテレサについて資料を集めてみると、
改めて、その偉大な功績を知り、
それまであまりよく知らないで尊敬する人だと言い、
とても恥ずかしい思いをした。
そして改めて、敬愛する方だと思うようになった。
残念ながら、台風の影響で静岡には来られないことになり、
講座の開催は実現に至らなかった。
生前のマザーテレサのそばで活動をされた方のお話を聞いてみたかった。
昨日はマザーテレサの没後19年だったそうだ。
そしてカトリック教会の最高の崇敬対象である
「聖人」に認定されたと報じられた。
カトリックの修道女ではあるけれど、
宗派など関係なく、あらゆる人に対する奉仕を神への愛だとして、
生涯をささげたマザーにふさわしく、
おととい、バチカンのサンピエトロ広場で列聖式が行われ、
宗派を越えて12万人もの人々が集まったそうだ。
静岡新聞のコラムでは「平和への啓示のよう」と表現してしていて、
まさにその通りだと思った。
私が好きなマザーテレサの言葉
「大切なのは、
どれだけたくさんのことをしたかではなく、
どれだけ心をこめたかです」
私にできることは少ないけれど、
その一つ一つに心をこめて、
その時間を大切にしようと思います。
ほりかわ
【秋ざんす】
昼間はエアコン入れていますが、心苦しくて、深夜は止めています。
寝苦しい毎日が続いています。
連日の暑さに、ここ数日間同じ位置で獲物を狙っているカマキリが私の作業場から見えます。
雄なのだろうか雌なのだろうか?不明です。
猛暑で餌不足かな。
秋も深まり、餌がないと、雌が雄を食べてしまう共食いがあるらしいですが・・・・。
庭のシイの木には、どんぐりが沢山実っています。
どうも、猛暑時には豊作のようです。
猛暑が都合良い場合、または、悪い場合があるようです。
でも何ざんしょ。この残暑。
真剣に地球温暖化を止めなきゃ。
小学生の孫は、夏休みの自由課題に「地球温暖化を防ぐために」を選択し、
①単身赴任をやめること。
②別荘を持たないこと。
を考え付き、朗々と原稿用紙に書きました。笑えました。
♪♪ 温暖化 単身赴任 別荘NO ♪♪
♪♪ 温暖化 貧困万歳 秘訣なり♪♪
♪みんな光ってみんなE♪
たきいなみき
夏の高校野球で活躍した選手たちの代表が、
世界で戦っている。
去年は地元の選手やスター選手が何人もいて、
初めて興奮して応援していたのだけれど、
今年も地元の選手(夏の甲子園には出場していないが)が
活躍していて、すごいなあと母親の気持ちになっている。
夏といえば、
父が亡くなってまもなく3年になる。
最後の入院の時に、ベッドの横にあるテレビには、
夏の甲子園の様子が流れ、
そのときの応援ソングが大好きなコブクロの「ダイアモンド」で、
私にはすごく印象的な場面だった。
野球が大好きな父は、
息子に(私の弟)たいへんな期待をして、
「巨人の星」の父子のように、野球少年にしたかった。
小さい弟の写真はいつも、バットを構える格好で、
実は右利きの弟を、父は右側を内側にして抱き、
左の手を自由に使えるようにして左腕のピッチャーにした。
リトルリーグで期待されていた弟は、
小学校までで野球を辞めてしまった。
体力づくりのためにやっていた水泳を選び、
ジュニアオリンピックで記録を残すまでになり、
大学まで水泳選手だった。
少年野球より前に、地元で盛んだった少年サッカーもやっていて、
体が大きくてゴールキーパーをしていたけれど、
野球のためにサッカーをやめることになったとき、
監督と仲間が全員、うちに引き留めにきてくれた。
そんなときも、父は野球をやらせると頑固に断った。
父は弟が使っていた野球のユニフォームを、
長いこと捨てられずに、いつまでも大事にしていた。
私はそんな父の思いを知っていたから、
毎年、父と一緒にテレビの野球を見た。
地元の野球場で試合のあるときには家族で観戦、
私たちは子どもはピクニック気分だったけれど。
病室で高校野球を見ていた父。
あのときはまだ、父がいた。
私はそんなに野球を好きではなかったけれど、
私はいつまでも父のお気に入りでいたかった。
父が好んで観ていた、相撲だってサスペンスドラマだって一緒に観た。
父には反発したり、嫌いになったりもしたけれど、
本当に私たちのことを想っていることは知っていた・・・
夏が来ると思い出す。
あの夏が残したもの、
テレビに映る野球少年の姿をじっと見ていた横顔。
新聞を広げて読んでいた・・・
不自由になった手でも、自分でご飯を食べられた・・・
お父さんと呼べば、ろれつが回らなくても答えてくれた・・・
夏が終わるときって、せつない。
今は弟も父親となり、
息子が野球少年で、今年はキャプテンだ。
きっと喜んでるね。
お父さん。
ほりかわ