「京せり」
公式テキスト『京の伝統野菜と旬野菜』より
⚫︎栽培起源は古く、承和5年(838年)の『続日本後紀』に当時、平安京ができるので京の中で水田栽培を禁じたが、元来、低湿地の所にはセリなどを作ってもよいと記されている。
⚫︎桃山時代には、豊臣秀吉が御土居を作ったときに、生じた低地の湧き水を利用してセリを栽培したという記事がある。
⚫︎二条城あたりから栽培され始めたセリは、南へ広がり、七条あたりで盛んに栽培されていたが住宅地や国鉄の梅小路の機関車庫になり八条方面、久世方面へと作付け地が移動している。
⚫︎品種には「京芹」、「青芹」、「お多福芹」、「山科芹」があり、「お多福芹」の栽培が最も多い。
⚫︎セリは、夏は冷涼で冬は温かい水を好むもので、川水よりも掘り抜きの湧き水を利用する。
⚫︎鉄を含む水は赤黒色を呈して品質を下げるので汚水や泥水の侵入を防いだ水でなければならない。
⚫︎栽培方法
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「京うど」
※山野に自生するものを食用に軟白栽培させたもので、盛り土をして栽培する「桃山うど」と、ワラでムロを作り遮光してその中で軟白栽培する「亀山うど」があるようで、
「桃山うど」を「京うど」として伝統野菜にしているようです。
「亀山うど」と同じ栽培方法は、大阪府北部の三島という所と兵庫県三田市でも見られるからかもしれませんが、テキストには「明治以前から」と書かれていますので「京の伝統野菜」の条件には入っていると思います。しかし、理由はわかりませんが、除外されているような感じがします。
⚫︎3月中旬発芽前に株の上に60~100cmぐらいの饅頭型に土を盛り土をして軟白する。
⚫︎「節赤」という品種が生育が旺盛で栽培しやすく、品種良好で収量も多い優良品種である。
過去問題より
⚫︎京うどの栽培の歴史は古く、平安時代から栽培され、湿田での栽培に適している。
⚫︎早生種と晩生種とでは土壌の適否を異にし、早生種は軽い砂質に富んだ黒色壌土がよい。
「じゅんさい」
⚫︎ヨーロッパ大陸を除いた温帯的気候の各地に分布する。
⚫︎日本では『古事記』(712年)、『日本書紀』(720年)に「奴那波」と記されている。
⚫︎古い沼や池に自生していて、普通それを採収し、人為的に栽培することはない。
⚫︎生育には水のきれいな古い沼や池が適していて、濁り水になると枯死してしまう。
⚫︎水量より水温の変化の少ない場所が良い。
⚫︎6~7月上旬が最盛期となる。
※ちょうど梅雨時期ですね。
⚫︎伏見や洛北深泥池のものが昔から有名であった。(深泥池のものは天然記念物に指定され採取禁止となっている。)
「京みょうが」(桃山茗荷)
※よく見かける「花ミョウガ」ではなく、ミョウガの茎を軟白栽培したもので、別名(ミョウガタケ)。
⚫︎江戸時代の終わりころ、桃山の農家が春に地下水の湧き出ているところで軟白しているミョウガを見つけ、これをヒントに栽培を始めた。
⚫︎「カマ」という排水口のようなワクの中に苗をふせる。
⚫︎上にワラで覆いをして暖かい水を掛け流し、溝の上にさらに「こも」で覆って寒さや風雨を防ぐ。
⚫︎何度か「こも」をあけて、色付けをする。
※過去問題より、『「京みょうが」の収穫時期は4月から5月頃で、収穫するまでに覆っていたコモを開け閉めして「紅づけ」の作業をする。この作業が「京みょうが」の値打ちを決めます。』