6月19日の続きです
テキストの割り付けも終了、プレゼンデータ(Libra Office = お金がないからフリーソフトで)も作成終了
晴耕雨読 雨でポチポチとキーボードをつつきました
古道 青梅市の位置
青梅市の総合病院あたりから西に神代橋までの古道です。
トンネルも整地もできない時代ですので、歩く細い道ですね、現在もなんとなくですが古い町並みや、歩くこともかなわないような道があります。徒歩、自転車で実際に歩いた人のデータから作成しました
黄色の矢印のとこが追分で道標の 左:江戸道 右:大山(富士山か)
タテの坂 青梅線の北側に”楯の城”があった
茶堂は、3方に壁のない東屋風で、地元の人の休み場、旅人に接待もしたそうな
謝辞:元自治会長さんが地元の事を調べてまして、近年、古道を実際に歩いて(自転車も使って)御夫婦で踏み、資料を完成しました。そのデータの一部を活用させていただいています。その時の地図を再度作り直しして(6月19日UPのやつ)、パレット(荷役用の方です)屋さんの良いコピー機のスキャナ機能でA3サイズづつ分割コピーそれも600bpsというコンビニより高密でデータ化しました。
他に、地元の方にお話しを聞き資料をお借りして
と、今回は自分以外の方々のご協力をいっぱいいただきました。
皆さんに感謝申し上げます
なお、学校部会で小学校でお話をするのですが、その講習テキストにはこの地図を1枚1ページで印刷する予定です。
また、古道を調べたことに私の長年の????を解決する手助けにもなっています。例えば、なぜ上裏宿のとこの変な道筋なのか、千ケ瀬町の道筋、琴河原の道筋、なぜあんなとこに追分の道標があるのか等々 青梅の街の東側なのになぜ”西分町”なのか、霞村の呼称問題
青梅市は深い!!!!!!!
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