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昭和2年5月15日雹害

2016年08月28日 09時05分54秒 | 地域の話

*自治会 第八支会50周年記念誌をまとめる機会を得、地域の話を集めたので、当ブログに 地域の話 としてUPします。

雹被害碑
新町の御嶽神社の大鳥居を入って左奥に建っています。
正面一番下に  霞村 新町
真ん中に     雹被害記念碑(と読めます)
その上に     昭和二年五月十五日
そして、一番上にソフトボールより大きめの丸い石が鎮座、この大きさの雹だったそうです。

裏面には
一番下に     青梅村 石工 藤堂音二郎

(二郎が平とも読めます)
一番上に     昭和三年三月建

時間的なことから推定ですが
昭和2年5月15日に雹被害に合い、新町、霞村の養蚕,稲作を主とする農産は全滅
全村の有志がすぐに行動を起こし、災害対策事業を政府

(国?、東京?不明)受けることができ、
翌年(昭和3年)には対策事業が開始~昭和4年に終了  この記念碑を建立(区画整理後、御嶽神社に移設)

このときの対策事業で、それまではあぜ道程度であった道から(今の道と場所が違う)
妙光院の前から東に延びる大通りに
妙光院のすぐ東側の山をくづして切り通しにして吹上に通じる大通りに
その後、区画整理によって今の道になったものです。
この対策事業では文字通り女性、子供まで出て作業に参加したそうです

 

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