
肉腫とがんでは、
症状の出方が異なります。
肉腫は、浸潤しないで
腫大化していくことが多いため、
痛みや呼吸困難感などの症状は
相当大きくなってから出現する傾向にあります。
また、肉腫は
宿主がどんどん痩せていくという
悪液質も少ない傾向にあります。
前者は、病理学的な観点から、
後者は、肉腫の免疫応答などから
理解できます。
ただ、臨床的には、経験の積み重ねがあって、
やっと、予測したり、読み取れることができるようになってきたと思います。
つまり、肉腫の患者さんは症状がないから、
やつれていないからと言って、
予後がまだまだあると
楽観視していはいけないということなのです。
もう、20年近く前になります。
ある肉腫の若い患者さんを担当していました。
腫瘤が相当大きくなっていることは理解していましたが、
お顔は痩せることなく、初めてお目にかかったときと
数か月ほぼ同じでした。
症状も強く出てはおらず、
ですから、予後的なことについても、
楽観的でした。
加えて、若い患者さんだったこともあり、
改めて、死という言葉は積極的には使っていませんでした。
予後の読み取りの甘さがありました。
この患者さんの場合は、
亡くなるその日、
急な症状の悪化を認めました。
その日は、日曜日でした。
その当時、育児のため非常勤勤務だった私は
呼ばれることはありませんでした。
月曜日。
出勤して、その患者さんがお亡くなりになったことを知りました。
そして、関わってくれた看護師さんから
亡くなる数時間前、
その患者さんが、
看護師さんに、
「私は死ぬの?
ねえ、死ぬの?」
と、看護師さんの胸を叩きながら
尋ねたことを聞きました。
愕然としました。
ただただうな垂れ、
沢山の後悔がよぎりました。
入院した病棟の性質上、若いとはいえども、
死が避けられないことは理解されているだろうと
関わった医療者で、カンファレンスも含め
そんな話をしていました。
死が避けられないということを理解していることと
死を覚悟するということは違います。
でも、その違いを私はその時まで
分かっていませんでした。
私は死ぬのか?
そう尋ねながら、
数時間後に死んでいった患者さんに
本当に、申し訳ないことをしました。
たった一回の人生を生き抜こうとしたときに、
大切な最期の時間を
死を覚悟して歩ませてあげることができなかった・・・
死ぬということを伝えてあげられなかったことの後悔ではありません。
死を遠ざけてしまっていたことの後悔でした。
患者さんなりに、望むような形で
語り合いたかったかもしれないことを
聴こうとする姿勢がなかったのです。
若い患者さんだから、
死について、触れない方がよいのではないか、
ご自分から口にされた時に耳を傾ければよい、
そう、思ってしまっていました。
こうした出来事を通して、
患者さんが最期の時に
できるかぎり後悔することがなく
よい人生だったと
さよならの手を振ることができるように
支援を行っていくことだと
意識するようになりました。
最近、感じることがあります。
死という言葉を出すと、
緩和ケアは早期から、
診断時からと言って、
結局、終末期医療なんじゃないですかと。
これは違います。
死を語ること≠終末期医療
です。
最終地点を見定めながら、
介入する時点は、診断時からということなのです。
患者さんが人生を後悔することがないように、
というビジョンは常に意識し、
取り組む時期として、早期から支援を開始するのです。
ですから、早期からの緩和ケアでも、
診断時からの緩和ケアでも
死について語ることは避けません。
なによりも、
死を意識するような終末期になってからでは
遅いのです。
元気な時だからこそ、
エネルギーがあるからこそ、
できる話でもあります。
20年近く前の出来事も
もう少し早い時期にそのことを
意識できていたら・・・と
未熟な自分を思うのです。
今、緩和ケアチームを指揮しながら、
自分への自戒を含め、
時に強く口にすることがあります。
今は落ち着いていますというのでは不十分です。
3日後(特に、週末前)、2週間後(最短の外来)、2か月後までを見越した
アセスメント、対処を提案してください。
薬だけに特化しないで、
患者さんの心に触れてください。
予後予測は幅をもって、
行うべきことは早い対処を。
未熟な私に残してくれたクリニカル・パールです。
(思うところがあり、2013年10月20日の記事の再掲です)
状況がわからず書くことがよいこととは思えないのですが、それでも、何かTomuさんへ書きたく、感じたことを残させて頂ければと思います。
ご主人に、医療の選択をしなかったら3か月前に生きる可能性はそこで終わっていた・・のではないでしょうか。苦しかった3か月間。言葉はなかったかもしれませんが、言葉ではないメッセージをご主人は送り続けられていたように思います。それが苦しいという文字であったとしても、そこには大きな意味を感じます。暖かな肌は亡くなる前まで触れることもできたことと思います。
どうぞ、苦しかった3か月を生きた意味あるものにしてさしあげてください。
察するにあまりある苦しい思いの中で、ご主人のことをここにシェアしてくださり、ありがとうございました。そこのことが無駄にならないよう、Tomuさんとご主人の痛みをきざみ、次の患者さんや医療の中に繋がっていくように努めたいと思います。
『こいつら、死なせる気か!』という、私の反感が彼を苦しめる事になったのです。
1つ、ICUの中では、何が行われているか解らない。という場面に遭遇しました。私がいるときは、ooさん着替えますよ~と優しく左右を向かせながら着替えさせてくれていたのが、いない時には、もう、芋虫ゴロゴロ状態で着替えさせていたのです。目を疑いました。看護師さん達もあっ!と一瞬手が止まりました。
彼が『殺される』と筆談でそっと私に渡した紙切れ・・・あながち嘘ではなかったのかも知れないという疑問が残ったままです。
纏まりのない文章ですみません。
今回の記事は何度も何度も読み返してしまいました。
理解と覚悟…とても難しい問題ですよね…
父は自分の病状・余命について知っていましたが、病状が悪化し予後が残りわずかになった時、家族のみ呼ばれ先生とお話する事が多くなりました。
父に『自分はもう駄目かな?体に今一体何が起きてこんなに苦しいんだ。もうこのまま帰れず死ぬのか?』と聞かれ、動揺した私は『大丈夫だよ、少ししたら良くなるから帰れる』と嘘をつきました。
本当の事は言えませんでした。自分でも認めたくない気持ちと本当の事を言ったら父が辛く寂しい気持ちのまま逝かせてしまうのではないかと…今でもこれで良かったのか考える事があります。きっと一生この気持ちは消えません。
唯一、父の希望だった鎮静はしない事しかしてあげれなかったのです。家族にとっても死を理解していても覚悟することは辛いです。自分の家族には奇跡が起きるのではないかと思ってしまうから…
検討違いなコメントになってしまっていたらスミマセン。
肉腫ではないですが、やはり癌ではないとてもお若い方が最近亡くなられました。
その方は、この入院で家に帰れなくなると予想しただろうか、十分な説明がないままいってしまった、私は死ぬのか、という質問をする時間さえあげられなかった。とても短いお付き合いでしたが、とても悲しいお別れでした。
この状態は前からなので、と言って、痛みがとれると仕事があるからと救急外来から帰宅しているカルテが何度もある中で、この入院が最後とは思っていなかっただろうな、どんな思いでこの身体症状と向き合っていたのだろうと、ただただ頭のさがる思いでした。
”とても我慢強い子でしたので”というご両親の言葉にも打ちのめされました。英雄が旅立っていかれたのでした。
緩和ケアはがんの患者さんだけではない、そして外来から、なるべく早くから、そう思わずにはいわれません。
臨床でそう感じる事が多いせいか、最近、自分のいのちは限られているのだということを、健康でいられるからこそ語り合えたらいいなと思うようになりました。
美容について気にするくらいの感覚で、いのちや死を語ることができたらなと。
以前、自分の死を語ることができていた担当患者さんに対し主治医が「あの人は悟りを開いているね」と言ったことに違和感を感じ、「死を受け止めようとすることと、悟りを開くことは同じでないと思います」と言ったことがあります。その患者さんは、死を語りながら、泣いていらしたからです。
大事な時に、泣きながらでも自分の死を見つめようとする力をつけられたらいいなと思っています。
なによりも、最期の3か月が生きた意味があった3か月となるには、Tomuさんご自身、そのことを肯定的にとらえられる日がきますよう祈っています。