そんな命題を耳にすることが増えた。
ヒトという種はいずれ絶滅するであろうと言われている。でも、高度に分化し急速に増加していくありさまは、大きな生物体系の流れを考えれば、それはなんら特別なことではない。
ヒトという生物の長い歴史の中で、我々が生きる数十年などは、ほんの点にしか過ぎない。それでも、点と点をつないでいくと線になり、それは何千年、何万年もの歴史をつぐむことができている。
両親から受け継ぎ、次世代につなぐ歴史の一旦、ほんのわずかな点かもしれないが、その点なしには種は続かない。
また、この瞬間、この点が束になれば社会になり、世界になる。
縦断的にはホモサピエンスという種の存続と、横断的には人社会を構成するために、星屑ほどの点であってもかけがいのない点である。
ウスバカゲロウは、次世代を残すためだけに生まれてくる生物である。口ももたず、子孫を残せばすぐ死んでしまう。ヒトは生殖活動の後、何十年という時間を生きていく。その時間が他の生物は持たない文化を生み出したとも考えられるのかもしれない。
なぜ、死ぬのに生きるのか。いずれ絶滅するかもしれないヒトという種の存続の一旦を担うためであろうと感じるこの頃である・・
(正)なかったっけ
宿主が死ぬと乗り移っていくエーリアンの話ってなかったったっけ・・
あ、雰囲気としては、運動会の大玉送りだわ。お~きな軽い玉を小学生がずらっとならんで、頭の上を通して送っていく、あれ。大玉が遺伝子で、小学生が宿主(生物)。
でもね、悲しいかなこのselfish geneの大玉も変異しちゃうのよね。26日ブログを読んでね!