親戚の方に看護師さんがいました。
日々の定時治療薬、発熱時や嘔気時などの臨時薬を準備しました。
いざというときのため、情報提供書を書きました。
事前に温泉の近医に連絡をとろうかとも考えましたが
それは、ユミさんの希望から控えました。
日々の定時治療薬、発熱時や嘔気時などの臨時薬を準備しました。
いざというときのため、情報提供書を書きました。
事前に温泉の近医に連絡をとろうかとも考えましたが
それは、ユミさんの希望から控えました。
5月の連休の前ころだったでしょうか。
福島の温泉で、露天風呂から桜を眺めることができたと聞きました。
露天風呂から遅咲きの桜を楽しんだと話してくれました。
このころのユミさんは この旅行の後、ご主人は変わりました。
口から何も食べられない状態でした。
中心静脈栄養のカテーテルが鎖骨下から入っていました。
まだ、サンドスタチンが無かった頃でしたから
腸閉塞のユミさんが嘔吐しないように
点滴量を絞るしかありませんでした。
ですから、本当にやせてしまっていました。
夜の露天風呂に2人で入ったと後で話してくれましたが
ユミさんにとって
それはどんなに勇気が必要なことだったか・・
手を差し伸べ、いつも見守りの眼差しをそそいでいました。