「倭訓栞(わくんしおり)同編、後編」でのカッパ、カワタロウの記述 その2
2024.10
加藤清正が、肥後の領主であった時に、狩に出て児従を河童に引入られた。
それで、大いに怒って、河童を残りなく毒殺しようとした。その河童の首領は九千坊と言った。彼は、大いになげいて、お願いして、許される事を願った。乞うて免(ゆる)されてより、肥後隈本(熊本)の河童は害をなすことが無いと、言われている。
今も渋谷家の渋谷公には、河童はその命令をよく聞くそうである。
豊橋鶴崎にもまた河童が多い。河童を能く使う者がいて、名を「ならゑんば」と言う。河童は、能く命令に従うと聞いた。
「倭訓栞(わくんしおり)同編、後編」広文庫
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