「倭訓栞(わくんしおり)同書、後編」でのカッパ、カワタロウの記述 その3
2024.10
高野山平等院に、水虎が人に取り付いた由来を、自分自身で書いたが、その内に自分自身の姿を描いたものがあった。怖異(ばけもの)である。
また、尾州名古屋の川合氏は、強力(ごうりき)の大男であった。
寶暦三年七月三日の未明、老瀬川のほとりを一人で歩いていたが、少いさな男の子が立っていた。
かき色のかたびらに黒い帯をして頭は窪んでいた。
川合氏は、
「どこへ行くのか?」と咎めた。
子供は、答えて
「椿の森より水車へ行く」と言った。
椿の森は、老瀬川の川上にあり、川合氏が、子供の傍を通り、先へ進もうとしたら、その小童子が、帯をつかんで引き寄せようとした。
川合氏は、ふり放して後ろを返り見、
「以前から人を悩ませていた川小僧め。生してはおけないが、今後、殺生を止めれば、命を助けてやろう。」と、言うより速く、河童は、川へ飛びこんだ。
川合氏は、堤で、煙草を吸った。
しかし、河童は、又出て近づいてきた。
川合氏が、叱りつけると、河童は、
「あなた様のように強い人には、これまで出合ったことがない。」と言って、又川に飛びこんだ。
川合氏は、帰りがけに、この事を山岡氏に語った。
私は、山岡氏から、明和九年の七月に、この逸話を聞いた。
「倭訓栞(わくんしおり)同書、後編」広文庫より
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます