仙台藩蔵屋敷の河童
2024.11
耳嚢、初編
天明元年(1781年)八月のことである。
仙台河岸の伊達家蔵屋敷にて、河童を打殺し、塩漬けにして置き、人々に見せて、その後川へ流したそうである。その時見た者が語ったとして、松本伊豆守が見せられた通りに、書き記しておく。
その子細は、こうである。屋敷の内の小児などが、故なくて入水すること十年の間に四度であった。もしかして、河童の仕業であろう、と評議一決して、屋敷内の堀の水をかいぼりした。すると泥の溜りの濃い中を非常に早く潜っていくものがあった。人の手では、捉えがたくて鉄砲にて討ち留めたそうである。
かたわらに曲淵甲斐守がいた。彼は、安永二年(1773)の秋、野州川方御普請見分として出張したが、そこで見た河童もこの図の通りであり、少しも違わなかった、と語った。身長が頭より足まで、おおよそ二尺七八寸も有って、意外にも肉太であった、との話である。
「耳嚢(耳袋)」 広文庫「かはたらう(河太郎=河童)」の項より
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