「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」(「西郷南洲遺訓」より)
この言葉は西郷隆盛が明治3年に明治新政府と戦った庄内藩に寛大な措置を取りその教えを残すために述べた一節。この言葉こそ西郷隆盛の姿勢を表しているものだと思いますが、同時に江戸城無血開城の立役者の一人である山岡鉄舟の姿勢でもあると思います。現代に目を向けると名誉欲に金欲に保身とこの言葉とかけ離れているように感じます。今この時こそ西郷隆盛と山岡鉄舟の姿勢に学びたいと思います。
この言葉は西郷隆盛が明治3年に明治新政府と戦った庄内藩に寛大な措置を取りその教えを残すために述べた一節。この言葉こそ西郷隆盛の姿勢を表しているものだと思いますが、同時に江戸城無血開城の立役者の一人である山岡鉄舟の姿勢でもあると思います。現代に目を向けると名誉欲に金欲に保身とこの言葉とかけ離れているように感じます。今この時こそ西郷隆盛と山岡鉄舟の姿勢に学びたいと思います。