150年前の今頃、江戸城が無血開城して江戸城の主であった徳川慶喜は上野寛永寺の謹慎から実家の水戸へと移りましたが、江戸はまだまだ不穏な動きがありました。薩摩長州のやり方に不満を持つ幕臣が江戸のそこらで談合して新政府に対峙していました。当時の江戸と今の東京では大きさも違いますが、池袋の近くの鬼子母神前では数名の幕臣が集まり、時を移して四谷近くで数を増やして談合、これがのちの彰義隊となって上野に立て籠もります。私たちの住んで居るこの東京のあちこちで談合して数が増え上野で二千人から三千人にもなる彰義隊となって新政府軍に対峙したのです。今の上野公園の敷地は当時は公園全体が上野寛永寺。今の上野寛永寺は谷中近くにありますが、今の上野公園にあった当時の寛永寺は上野戦争でほとんどが焼失しました。時が経った今、名所旧跡となり観光スポットにもなっています。今この地を歩きながら、これから150年後の東京そして日本はどうなっているのだろうかと思いながら今を生きています。
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