
歴史の中でまた素敵な人物を見つけました。その人物は仙台藩主・伊達斉義の娘で分家の亘理伊達家に嫁いだ佑姫・伊達保子です。幕末から明治にかけての東北諸藩は戊辰戦争で新政府の敵となって敗れ解体されて移住を迫られました。亘理伊達家も例外ではなく領地を没収され蝦夷の地へ移封になりました。伊達保子も藩士の反対を押し切って明治4年2月10日松島湾内石浜港から亘理伊達藩士と共に舟で蝦夷の地にわたります。当時の蝦夷は未開の地、住む家もなく開拓小屋と呼ばれた萱葺の狩屋でした。伊達保子は萱葺の狩屋に住みながら開墾の場に足を運び藩士を励まして、また開拓資金を捻出するため自らの嫁入り道具などを処分して資金にあてました。伊達保子の行動が藩士の士気を高め開墾が進んだと言われ「開拓の母」と呼ばれていました。この開墾の地こそ現代の北海道伊達市です。
自らの運命を受け入れ苦しんでいる民のためにつくす伊達保子に惚れ込んでしまいました。
自らの運命を受け入れ苦しんでいる民のためにつくす伊達保子に惚れ込んでしまいました。
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