復活祭はキリスト教にとって最も大きい行事ですが、いつも行事の時に気づかされるのは、復活祭であっても降誕祭であってもキリストはどうであったかということ。最も貧しい状態で生まれたキリスト、そしてすべての人間の罪を負って処刑されたキリスト、キリストの十字架のとなりに罪人がはりつけられています。私がいつも思い起こす聖書の箇所は「私の兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイによる福音書25章40節)
最も大きい者、最も力ある者、最も裕福な者ではなく、最も小さな者、最も弱い者、最も貧しい者に行うこと、これがキリストでありましょう。今、世界中が争って最も力あるものに向かおうとしている時こそ、最も小さな、弱い、貧しいものに向かう時でしょう。
最も大きい者、最も力ある者、最も裕福な者ではなく、最も小さな者、最も弱い者、最も貧しい者に行うこと、これがキリストでありましょう。今、世界中が争って最も力あるものに向かおうとしている時こそ、最も小さな、弱い、貧しいものに向かう時でしょう。