渋沢栄一と言えば実業家として500社の創業・経営に関わり日本資本主義の父とも言われていますが、明治5年に医療福祉施設としてスタートした東京養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)の初代院長として長年その運営に関わりました。当時は東京府の管理ですから財政削減の観点から存続の危機も危ぶまれていました。東京府会が東京養育院の廃止案が出された時、何よりも反対したのは渋沢栄一でした。渋沢栄一は東京府知事に建議書を提出しています。
「困窮者を助けるのは社会を治めるのに必要な義務であり、もし首都東京にてこの施設がなければ、貧しい人々は頼る所がなくなり餓死者が街頭に横たわる惨状となるだろう。明治の初めに設けられた養育院は以来東京の窮乏に苦しむ者が行き倒れることを避けるのに大いに与ってきた。今、過去を回顧し、将来を推考すれば、到底これは廃棄すべきものではない」(井上潤「渋沢栄一・近代日本社会の創造者」より)
「困窮者を助けるのは社会を治めるのに必要な義務であり、もし首都東京にてこの施設がなければ、貧しい人々は頼る所がなくなり餓死者が街頭に横たわる惨状となるだろう。明治の初めに設けられた養育院は以来東京の窮乏に苦しむ者が行き倒れることを避けるのに大いに与ってきた。今、過去を回顧し、将来を推考すれば、到底これは廃棄すべきものではない」(井上潤「渋沢栄一・近代日本社会の創造者」より)