演芸見ブんログ

寄席・野球観戦等に行った備忘録を残しています

07/08/25 第4回 神田花ずし寄席

2007-08-25 | 講談会・落語会
橘ノ美香…『狸の札』

藤村武雄氏(江戸文化研究家)…「江戸よもやまばなし“吉原”」

新山真理…「漫談」

神田紫…『四谷怪談 伊藤喜兵衛の死』


灼熱と言ってはオーバーかもしれませんが、暑い日が続く毎日。
新鮮な魚にお酒と共に寄席が楽しめる会に行って来ました。
場所はJR神田駅の南口を出てすぐのガード下。
開演は6時ですが5時に開場、参加者は思い思いの場所で寿司を食べたり酒を飲んだり・・・。
私も一角に陣取り“いかげそ”と“枝豆”をツマミに生ビールを注文して、買ったばかりの「東京かわら版9月号」を読んでいました。
しばらくすると寄席の常連Tさんの姿が見え、一緒に開演までの時間を過ごしました。
6時少し前に店内奥に設えられた高座前に移動。最前列は3席しかなくその2つに陣取るTさんと私。高座との近さは末広亭や日本橋亭の比ではありません。

開口一番は橘ノ美香さん。今、浅草演芸ホールでは昼の部で若手大喜利が行われています(司会は三笑亭笑三師匠)が、その“墨塗り係”を終えての登場です。
マクラで場内をほぐしてから「狸の札」に入りましたが、一語一語がハッキリとした口調で表情や仕草も良く、明るくて可愛い狸の噺を楽しみました。

続いては江戸文化研究家で江戸東京博物館員の藤村武雄氏による、江戸の四方山話。
吉原の歴史は1617(元和3)年に日本橋から始まり、1657(明暦3)年の「明暦の大火(振袖火事)」を機に浅草田圃に移転。以降1958年(昭和33)年3月31日までの約300年間を指します。ただ長い歴史の中で実際に史実に基づいているといわれるのは享保年間(1716~1736)の吉宗時代ぐらいだそうです。
遊女の位には『太夫・格子・散茶・梅茶』などがあり、お目当ての太夫に会うには3回通うとか。
①初回…1両2分(約15万円!)
②裏を通す…宴会(約30~50万円!!)
③馴染み…一晩過ごせてどんちゃん騒ぎ。祝儀等を含めて約150万円!!!
その他、郭のしきたり、客を呼ぶための苦労、指屋、避妊法、道中、年季明けなど、本当に興味深い話をたっぷりと聞かせていただきました。

ここで今日が誕生日の橘ノ美香さんに花ずしさんから花束のプレゼント
思いがけないプレゼントに美香さんの目にもうっすらと光るものが?・・・

今日の真理さんは和装
藤村氏の話を受けた女性ならではの感性をマクラに血液型ネタ。
会場にいる人のそれぞれの血液型を挙手してもらうと、ここ花ずしの板長さんがB型で店長さんがO型!
まるで真理さんのネタを量ったかのような展開で、いつもながら大爆笑の高座でした。

冷房が効いている上、お仲入りがなく、ビールを飲んだせいで紫先生の登場前に無念のWC
やはり演芸を楽しむ前に飲むもんじゃありません・・・反省
釈台の上には白い蝋燭が2本。怪談です
怪談を演じる前には四谷の田宮神社(通称・於岩稲荷)にお参りする話から。
私も先月お参りしましたが、それをしないと客ではなく演者に“祟り”があるということで・・・
四谷怪談のお岩の噺が進んで行く内に店内の照明が少しずつ消され・・・
仄暗い高座で紫先生が蝋燭に火を点けようと燐寸を擦りますが、空調が利き過ぎているためなかなか点きません。
紫先生はニッコリ笑いながらもやや引き攣った表情で
『祟りでしょうか?』
ようやく火が点るとここからは妖気の世界。
お岩が顔をぶつけてからの場面は、絵でよく見るお岩の顔を思い出してしまい、場内の雰囲気と併せて寒気さえ感じるほどでした

寄席がハネた後は店内での打ち上げ
新鮮な魚に美味しいお酒を堪能し、楽しい夜を過ごすことができました
コメント (2)
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