8月4日 妙満寺 施餓鬼会
施餓鬼会の設え
施餓鬼会とは、餓鬼道に堕ちて苦しむ人々に供物を捧げて供養する法要だ。卒塔婆を造立し、亡き精霊の成仏を祈るのである。いよいよ盂蘭盆会の数々の行事の始まりだ。
筆者のように、いずれ死んだら餓鬼道に落ちる恐れのある人間はあらかじめ祈っておきたい。
市内を転々とした悲運の寺
妙満寺は洛北幡枝にある。法華宗の総本山のこのお寺は市内を転々とし、天文法華の乱で法華宗が禁じられた時には、堺に避難していたのを、応仁の乱をはさんで秀吉の時に寺町通に落ち着いた。しかし、宝永の大火・天明の大火・そして禁門の変の大火で焼失を繰り返した。この地に来たのは昭和43年と最近だ。難しい話はさておいてこのお寺には二つ重要な事がある。
雪の時の雪の庭
まず、塔頭の成就院(現在は本堂)にある松永貞徳作の庭園が有名だ。これは京都の「雪月花」の3庭園の一つ「雪の庭」である。
清水寺の塔頭成就院には「月の庭」がある。なぜかどれも成就院なのだ。では、花の庭はどこにあるか。北野に作ったとされているが、現存しないので正確な場所は不明だ。成就院3庭園として雪月花の庭を作庭した貞徳は、茶人として有名だが粋な事をするものだ。筆者は、雪の日に「雪の庭」を見に行った事がある。ここ幡枝は洛中より相当北なので雪はしばしば積もるのだ。
除夜の鐘を打つ(道成寺の鐘ではない)
さらに、紀州道成寺の安珍・清姫伝説の鐘がなぜかここにある。戦国時代末期、「秀吉の紀州攻め」の折り、攻め手の大将仙石権兵衛が、祟りを恐れて埋められていた鐘を掘り起こし京に持ち帰った。当時の妙満寺貫主がねんごろに供養し当寺に安置した。毎年春の鐘供養では、「京鹿子娘道成寺」など道成寺を演じる芸能人が芸道精進を祈る。
筆者は12月8日の成道会で、大根炊きの日に行った事がある。その時に雪が舞っていた。