逆順でたどる平安京の天皇たち
87代 四条天皇
在位 |
1232年~1242年 |
生没 |
1231年~1242年 |
在位中年号 |
貞永・天福・文暦・嘉禎・歴仁・延応・仁治・ |
先代・次代 |
後堀河天皇→当代→後嵯峨天皇 |
御陵 |
月輪陵(泉涌寺に埋葬された初見) |
父・母 |
後堀河天皇・九条竴子 |
中宮 |
九条彦子(宣仁門院) |
承久の変の後、後鳥羽院の直系の系統には絶対即位させなかった。しかし、四条天皇には兄弟も自身の皇子もいなかった。従って、仕方なく後鳥羽を祖父に持ち共に島に流された土御門院の子、後嵯峨天皇を天皇にせざるを得なかったことは、前回書いたが、
その、繋ぎの天皇が四条天皇だ。従って業績は書くべきものがない。
なにせ、2歳で即位している。12歳で崩御された。中宮はいたがいかに精力旺盛な天皇家でも、生殖行為には及ばなかった。
死因は、「女性の陰部を覗こうとして、廊下に蝋を塗って女官たちが滑って転ぶのを見ようとしたところ、自ら転んで脳挫傷で死んだ。」という。また、後鳥羽院の「怨霊」のせいとも言われる。
誠に御不幸な天皇だ。
時代は、飢饉の連続、その為天然痘の大流行の時代でもあった。その証拠に、わずかな間に元号がいくつも変わっている。
在位10年の間に、7つの元号だ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます