アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

451 アチャコの京都観光日誌 歳時記  粟田神社 粟田祭続編

2018-10-09 09:30:37 | 日記

 

P1130319

粟田神社 剣鉾差し

 

 

P1130329

粟田神社 大燈呂

粟田神社を見て来た。粟田祭の最中の昼間に、慌ただしく様子を見た。

この日夜、知恩院前の瓜生石周辺までパレードする「大燈呂」である。神社の壱の鳥居前(三条通沿い)の倉庫に格納されて出番を待っていた。少年が二人で番をしていた。素材はすべて高級和紙で出来ていて写真は「鬼退治」か「坂上田村麻呂」だろうか?歴史上の一場面を壮大に現わしている。

青森の「ねぶた祭」そのものである。

三条通沿いの鳥居から入る。

ここまでは普通の住宅地になっている。扁額は「感神院新宮」つまり祇園社(八坂神社)に対するNEW祇園社という意味だ。

東山36峰の一つ粟田山に向かう参道。

拝殿の奥に本殿がある。御祭神は「スサノウノミコト」八坂神社も同様の造りになっている。

 

歴史を感じる「剣鉾」剣鉾差しに使うものではないが、構造はこんな感じ。

前に鎮座する「子供神輿」が愛らしい。

境内からは、遠くに平安神宮の大鳥居が見える。岡崎公園から動物園、ロームシアター京都・市立美術館など散策には季節の良い時期だ。

近くの小学校だろうか、運動会の威勢の良い音楽が聞こえて来た。

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

450 アチャコの京都観光日誌 歳時記 「今から出かける京都」 八瀬八幡宮 摂社秋元神社 赦免地踊り

2018-10-06 09:15:22 | 日記

八瀬八幡宮の摂社である、秋元神社は江戸時代の中期、秋元但馬守喬知を秋元大明神として祀ったものである。八瀬村は比叡山との間で長く境界線争いを行っていた。命を懸けて但馬守に訴え出たところ幕府側が村民側の主張を認めてくれたのである。

「秋元神社 京都」の画像検索結果「秋元喬知」の画像検索結果八瀬八幡 と 秋元但馬守

この八瀬童子と天台座主との争いは、皇族である公弁法親王の時代であった為に江戸幕府の力がうかがえる。また、秋元但馬は綱吉に進講するなど学問にも長けた名老中であった。家宣の代まで長く幕閣の中心にいた。

その事を記念して300年以上に亘って但馬守に感謝する「赦免地踊り」を催している。大変地味なお祭りで、八瀬八幡は地元でも有名だが摂社「秋元神社」と尋ねても知っている人は多くない。

「秋元神社 京都」の画像検索結果「秋元神社 京都」の画像検索結果八瀬童子

場所も叡電からも遠く離れたところにあり車の便も悪い。時間的な余裕を持って出かける事にする。

「秋元神社 京都」の画像検索結果決して人に見せるお祭りではなく地元の皆様で継いでいる。民族芸能

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

449 アチャコの京都観光日誌 歳時記 「今から出かける京都」 木島(このしま)神社 通称 蚕の社

2018-10-05 08:28:36 | 日記

京都には、三大〇〇という言い方で紹介するものが多い。世界の三大美人には、クレオパトラ・楊貴妃に並び小野小町が堂々選ばれている。因みに、小野小町の肖像画は伝わっていない。すべて後姿ばかりだ。十二単で長い髪を強調すればだれでも美人になるだろう。夜目遠目傘の内(御簾の内もそうだろう。)

「ono小町」の画像検索結果

さて、本題に入る。

京都三大火祭・・・送り火 鞍馬火祭り 清凉寺のお松明

京都三大念仏狂言・・・壬生寺 嵯峨清凉寺 千本えんま堂

京の三大祭り・・・葵祭 祇園祭 時代祭

京の三奇祭・・・鞍馬の火祭 牛祭 やすらい祭

京のサンタナ(ロック歌手ではない)三棚・・・桂棚(桂離宮) 霞棚(西本願寺) 醍醐棚(醍醐寺)

京の三門・・・知恩院 東福寺 仁和寺 南禅寺 の内三つ?

京の三閣・・・金閣 銀閣 呑湖閣 (飛雲閣かも?)

京の天台宗三門跡寺院・・・三千院 青蓮院 妙法院

京の三名席・・・八窓席 八窓軒 忘全席(全はタケカンムリ)

京の三山・・・船岡山 双ヶ岡 吉田山

 

そして、京の三珍鳥居というものがある。この辺りが京都人の洒落だが、さほど有名ではなくともそのような紹介をする事で、人は訪れる。まず、京都御苑の西南地域にある厳島神社の九条池の中島にある唐破風鳥居がまず一つ。明神鳥居や神明鳥居が代表的だが、唐門の屋根に見られる唐破風を施した鳥居は珍しい。

「京の三珍鳥居」の画像検索結果

北野天満宮摂社の伴氏社の鳥居は、蓮の花びらに乗っている仏教色の強い珍しい鳥居だ。

「京の三珍鳥居」の画像検索結果

そして、蚕の社の三方正面の鳥居も珍しい。木嶋坐天照御魂神社が正式社名の由緒ある古社である。

「京の三珍鳥居」の画像検索結果

絹織物を日本に広めた秦氏ゆかりの神社で、隣の広隆寺との関係が深い。

 

Konoshima-jinja haisho.JPG


貞観年間僧の道昌が勅命によりこの池水に祈雨のため加持を行なった事や、後白河上皇の梁塵秘抄でも、木嶋社が伏見稲荷大社石清水八幡宮と並んで参拝者が絶えず賑わった神社として歌われているので相当メジャーな神社であったようだ。ただ、明治維新後、そう格式の高くない郷社になっている。

「蚕の社 神幸祭」の画像検索結果

神幸祭は、7日日曜日に行われ、御神輿が木島神社から広隆寺へと巡行する。重要神事であるがかなり地味なお祭りなので注意して御出かけあれ。

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

448 アチャコの京都観光日誌 歳時記 「今から出かける京都」 粟田神社 粟田祭

2018-10-03 08:23:42 | 日記

粟田神社 粟田祭

6日(土)神賑行事と出御祭
7日(日)夜渡り神事(大燈呂巡行)
8日(祝・月)神幸祭(剣鉾巡行と神輿渡御)
15日(月)例大祭(式庖丁奉納)

円山公園から知恩院の山門の前を通り「瓜生石」の横を通り青蓮院のクスノキを過ぎると、粟田神社の参道に行き当たる。東山36峰の粟田山の麓に向かって鳥居をくぐる。さらに平安神宮までそぞろ歩き出来る良い散策コースである。

その粟田神社は、京の七口の一つ「粟田口」にあり、東海道への出口なので、旅の安全にご利益がある。しかし歴史は古く1000年以上以前の創建である。八坂神社との関係が深く、牛頭天王(スサノウノミコト)を主祭神としている。また一説には、山城の国内で移住してきた渡来人の粟田氏がその地を治めていた時に氏神として創建したとも云われる。

旧社名は、粟田天王宮と言われ、八坂神社と同じ牛頭天王(素盞鳴尊)を祭神とするところから感神院新宮とも呼ばれていた。そして明治になって現在の粟田神社となった。因みに、八坂神社も明治になって、祇園社から改名している。

41990837_2657540110938336_5384580218159628288_n41776941_2657536277605386_4192515051631935488_n

室町時代には、戦乱などで祇園祭が中止となった場合、この粟田祭がその代わりとするほどの権威あるお祭りである。

祭は、「出御祭(おいでまつり)」「夜渡り神事」「神幸祭(しんこうさい)」「還幸祭(かんこうさい)」、そして15日の「例大祭(れいたいさい)」まで4行事に大別される。

特に夜渡り神事は、「れいけん(霊験)」という特殊な神事で、御神宝の阿古陀鉾と地蔵鉾を奉じて「瓜生石」の周りを3周する。その昔霊験あらたかな「金札」がこの瓜生石に現れた故事に因むものである。また平成20年よりは古く行われていた風流灯籠も復興し、「粟田大燈呂」として行列に加わっている。ちょうど青森のねぶた祭りのような豪華なものである。

「粟田祭2018」の画像検索結果「粟田祭2018」の画像検索結果大燈呂

 

神幸祭では、神様が氏子区域を巡行する。そこでの注目は「剣鉾」である。昭和五十年代からこの鉾差しが復活したのだが、現在は「粟田神社剣鉾奉賛会」が結成され、氏子の手で剣鉾が差されている。その剣鉾とは祭礼の神輿渡御の先導を勤め、神様のお渡りになる道筋を祓い清め、悪霊を鎮める祭具と解釈されている。剣鉾は剣差しと呼ばれる人によって重さ40~60kg、長さ7~8メートルのものが1人で指される。独特の歩行法で剣先をしならせていく。一説には祇園祭の鉾の原型とも言われる。

「粟田祭2018」の画像検索結果「粟田祭2018」の画像検索結果剣鉾差し

 

 

 

神輿巡行
神輿も長く居祭り(巡行しない)が続いたが、「粟田祭巡行壱千年祭」に復興した。神輿はその日特別に青蓮院の四脚門から入場する。青蓮院では青蓮院御門主様が御加持をお授ける事になっている。神仏混淆時代の名残でもある。

「粟田祭2018」の画像検索結果

そして最後の、例大祭では、八坂神社からも神職が来て、本殿に舞楽の奉納がある。

このように祇園祭が余りにも豪華で有名になり、一方途絶えがちであった「粟田祭」が、しっかり復活している事も京都の歴史の力強さを感じる。



Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

447 アチャコの京都観光日誌 歳時記 「今から出かける京都」 壬生大念仏狂言

2018-10-02 08:29:54 | 日記
壬生寺 大念仏狂言 10月6日~三日間
「京都念仏狂言」の画像検索結果
秋の念仏狂言の時期が来た。因みに、壬生における開催日程は以下の通り、
2月の節分前日と当日の2日間 節分会(せつぶんえ)
4月29日から5月5日までの7日間 大念仏会(だいねんぶつえ)
10月の体育の日までの3日間 秋の特別公開
 
京都三大念仏狂言は以下の通り、

① 千本閻魔堂大念仏狂言

「京都念仏狂言」の画像検索結果

三つの狂言の中でただひとつ、セリフが入り観客を笑わせ楽しませてくれる庶民的な演劇で京都市登録無形民族文化財。上演日は節分と5月上旬(4月5日の花供養には鞍馬寺でも行われる。)

 

 e696b0e38197e38184e3839be383abe38380e383bc-0653

② 嵯峨大念仏狂言

壬生狂言と同じく宗教的な無言劇だが民族芸能として高い評価を受けて国選択・京都市登録無形民族文化財になっている。 3月、4月、10月に釈迦堂境内の狂言堂で一般に公開される。

e5a3ace7949fe78b82e8a880炮烙割り

③ 壬生大念仏狂言

「カンデンデン」の鐘と太鼓の単純な音色がしばらく頭の中から離れない。無言劇なのでその音色を背景に所作が進んで行く。円覚上人が念仏を広める為に始めたが、狂言の中に念仏は一切出て来ない。

「京都念仏狂言」の画像検索結果土蜘蛛も人気の出し物である。

まずは人を集めて楽しませてから念仏を説いた。その際声が届かないので無言のジェスチャーで、道徳や善行を説明したのだ。出し物は30以上あるが、現代のモラル・常識には当てはまらない出し物も多い。最初の演目の「炮烙割り」も人間の狡さを現わしているが、炮烙を割る因果関係は現代に通じない。ただ何千もの炮烙が、舞台上から落下し土煙が上がるのは壮観だ。

また近隣の保存会の素人の方達の努力と熱演には感動する。六斎念仏踊りやこのような民間伝承の芸能が、猿楽・能・狂言と進化し、歌舞伎・文楽へと昇華した。そして近代の各種芸能に発展した。現代の我々が漫才やコントに爆笑するのは、このような宗教布教の活動・工夫のお陰を受けている。

「漫才」の画像検索結果中川家はおすすめです。

現代人は、笑いのセンスは進んだのだが、江戸時代以前の庶民が当然に知っていた芝居のエッセンスを知らない。念仏狂言の解説書が無ければ意味すら分からないのは誠に寂しい。

 

     

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする