脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

義母の認知症診断結果

2015年07月28日 10時22分33秒 | 日記
朝早く起きた妻は朝食の準備をしていた。キッチンからオープントースターからパンの焼ける匂いが、ほんのりしている。『おはよう(^^)早いね』リビングに目をやるとテレビを見ながら林檎とヨーグルトを食べている次女がいた。(そっか、夏休みなんや)この年頃は何かとコミュニケーションが難しい。すると『今日、おばあちゃんン家に行くんやろ?ウチも乗せてってってお母さんに頼んでん。バイト、梅田でするから、お姉ちゃんの家で来月まで、やっかいなるし、(^^)』次女は姉の家までの交通費を浮かそうと妻に頼んだらしい。朝から慌ただしく用意した。14時に義母の認知症診断結果を予約している。この日は9時に私の膝の装具を近所の整形外科にも行かないといけないので、とにかく落ち着かない。なんとか自宅を出たのが昼前。3人で出かけ愛犬は留守番。いつもの道を走り高速道路へ。昼食を済ませ義母宅に着いたのが1時半。次女は義母宅に留守番させ豊中市内の病院には3人で向かいました。ほんの10分ほどで行けるのですが、とにかく、当日の大阪の暑さは半端なく照りつける日差しも眩しいせいか車の中は不快。そして病院は弱冷房(・・;)待合で待つ事5分ほどすると看護師がやってきた。『お母さんには先に血圧とか測りますのでご家族の方が診察室にお入りください』義母は既に軽度認知症と診断されているがアルツハイマーか?それとも、その他の原因かは画像からでないと判断できない。その診断結果を義母に知らせることは出来ないので病院の配慮から義母には 血圧など簡単な検査をしてもらい私達が、その間に診断結果を聞くこととなった。看護師に案内され診察室に妻と入ると女医が既にデスクに座っていた。私達夫婦は女医に向かい合うように座った。そう30歳半ばくらいの先生で薬指にはリングがあった。『今日は遠いところ申し訳ありません』女医は言葉を発し説明をされた。血液検査は肝機能など全く問題はないとのこと。次にMRℹ︎の画像をバソコンに表示させ、幾つかの断面図を見せてくれながら『ここの少し白い部分。それと、ここですね。側頭葉にあり。海馬との、さかい辺りです。』また画像を変えた。『この黒い部分、わかりますか?この部分が萎縮しています。先程の側頭葉の部分と、この萎縮から観てアルツハイマー性認知症と診断します。』予め、覚悟をしていたとは言え改めて宣言されると頭の中は真っ白となららました。妻の心の中は大きなショックを受けているのは、その表情から十分に伝わったのです。医師より認知症についての説明、処方箋の説明、かかりつけ医との連携について話をされ義母には認知症告知はせず、加齢による記憶障害と伝えるとのことでした。看護師からは行政の包括センター及び、かかりつけ医への連絡を本日するとのこととなり、あらためて義母を診察室に迎え入れました。義母は丁寧に医師と看護師に挨拶をし椅子に腰掛けました。『おばあちゃん、今回、検査、大変でしたね?大丈夫でしたか?それでね、検査の結果ですけど、年齢のせいかな?ちょっと物忘れの症状がありますね(^^)でも、これはね年を重ねると誰でもあることですからね。』女医の言葉に安心したのか、それまで緊張していた義母は笑みを浮かべ『あー、良かった、もし認知症やったら、どないしょって思ってました(^^)』思わず妻と私は顔を、見合わせました。『そうですよ。それだね、その認知症にならないために予防が必要ですから、かかりつけ医の先生から、お薬と、あとデイサービスっていうサービスを受けてくれますか?』義母は安心しているせいか快く承諾したのです。そして看護師から『介護保険は、、持ってはりますか?』義母は、ゴソゴソと自分の鞄から保険証を取り出し看護師に差し出した。『あら!要支援2ですね。もう手続済んでるようですね(^^)そしたらデイサービスは、すぐに受けられます。』その後、看護師から市の包括センターの担当へと連絡してもらい私達は一旦。義母を自宅に送り届け降りてもらい私達は服部緑地にある地域包括センターへと向かいました。
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