人の不幸は蜜の味(・・;)と言われます。これ危ないと私は思うのです。井戸端会議の奥様の会話、会社で気に入らない人の左遷や降格は噂となり広まるのが早い早い(・・;)その噂話しをしている人の顔を見るとホンマ楽しげな表情なのが多いです(・・;)でも?本当に蜜の味?なのでしょうか。私は覚醒剤や大麻のようなイメージに思えてなりません。本当に人様の不幸を気の毒に思うのなら決して当人以外の人と噂話はしないはず。また、人の環境の良さや経済的に余裕のある人を羨む噂話も余り頂けないように思えます。何故、人の不幸は蜜でなく覚醒剤や大麻に例えたかと?(・・;)人の不幸を話し始めると止まらなくなったり?また別の人へ同じ話しをしたくなるからです(・・;)話している当人は情報提供気分?憂さ晴らし?などなど、マイナス波動を言葉や空気を周囲に撒き散らしているわけで(・・;)でも覚醒剤のように気分が高揚するわけです。特に自分が嫌いな人や目の上のタンコブとなる人の不幸は(・・;)恐らく、そんな話しをしてる時は脳からドーパミンがたくさん出ているのかも知れません。この世は鏡の法則。自分が撒き散らしたマイナス波動は必ず回り回って自分に跳ね返ってくるのですが、その時は利息が付いて自分が撒き散らした波動より強い波動となり返ってくるんです(・・;)だから、決して蜜の味だとは私は思いません。人を褒めることは中々、出来ないのかも知れませんが、良い出来事の事実を話す事が大切なのかな?と思う今日この頃です。
魂の成長を感じるときって?ありませんか?ここ1年くらいですが私は感じるんです(^^)例えば今、係争中の残業代裁判(^^)会社側の反論や主張する準備書面を読むのですが、その主張や反論が中学生が言っているように感じてしまい、文章の中でも、私のある事ない事を好き放題。何とか残業代を払わず逃げるためには一生懸命(^^;;認めるところは認め正直に述べれば良いものを(・・;)結局、裁判所よりたしなめられるように前回は終わり裁判所から和解を望まれていますが、恐らく会社側はダダをこねてきて和解をしないのかな?これまでの係争経過から私は会社代表者の魂の幼さに準備書面を読みながらクスクス笑うだけでした(o^^o)また次女がパンケーキ屋のバイトを辞めるとLINEで告知してからのパンケーキ屋の雇用主でありオーナーが予想以上に次女へ追い込みをかけてきたのです。経過の詳細は私のブログにある【ブラックバイト】を参照してください。そのパンケーキ屋オーナーの魂の幼さもオーナーと会った時に痛切に感じたのです。脳出血をする前の私ならオーナーと大喧嘩したかも知れません。でも今では喧嘩するどころか、相手もしたくない、分からず屋としか思えません。オーナー側が弁護士を通じて対処したため私も弁護士に相談し現在、弁護士同士の折衝となっています。話は逸れましたが魂が幼い人は、直ぐに感情的に怒る、自己中心、秩序やルールを乱す、目立ちたがり屋、言った良い事悪い事の判断なく言葉を出す、勝ち負けに拘る、世の中は金、物、地位と思っている。などなど(o^^o)これは仕方ないんだろうなぁ(^^;;で?それらが、『そうじゃない』と気づくための【カルマ】を先ず造る人生を何度か送って、やがて【カルマ】を解消した時点でプラスマイナス【ゼロ】本当の魂の成長は、ここからのような気がしてならないと思う今日この頃です。
脳出血を起こしてから見えない【チカラ】で守られているように思っています(^^;;何故?そう思うかと言われると言葉に困りますが何となく事がスムーズに進むことも多く、それも私自身が判断し決断することより自然の流れに身を任す感じでいるとスムーズに進むことが多いのです(o^^o)ことの経過上で判断や決断をする場面ではしますが、それも欲張らない選択をすると良い結果になるような気がします(^^)とにかく反省と感謝を繰り返し大らかに(^^)穏やかに(^^)執着心や拘りを無くしていくことで事態はより良い方向へと舵が取られるように思えてなりません(^^)仮に良くない出来事が起きたとしても傷は最小限に治ったりします。また良くない事が起きると連鎖が起こることもなくなりました(^^)それと?それと?マイナス言葉が極めて少なくなったのです。マイナス言葉等を発すると身体全体から鳥肌のような何とも言えない感覚が身体の中を走ったり胸の奥に【おもり】を置かれたような感覚がくるのでホント、言わなくなりました(^^)見えない【チカラ】を信じる?信じない?は個人の自由です。何となく守られている感覚が感じられるようになれたのはポジティブな言葉を使い始めたこと。人生を振り返って反省と感謝を繰り返したこと。霊の存在を肯定して守護霊様、指導霊様、背後霊様へ感謝などしてからですかね~(^^)それと同じく【死】への恐怖と不安が極めて少なくなったことで物欲が殆どなくなりました(^^)必要なものが必要なだけあればいいのです。お金も同じ(^^)御飯は三食食べられれば幸せに思えるようになると不思議と心が軽くなりました(^^)そんな最中に『な?何となく見えない【チカラ】で守られている』感覚が感じられるようになってきたのです(^^)
許します(o^^o)この言葉は心を穏やかにさせてくれます。時々、『許せない!』とのたまう人を見かけますが、大抵、どうってないことが多いような(・・;)他人を許せないと思えば思うほど自分自身をキュウキュウと締め付けているのに気がつかないのかな?かつての私も、そうでした(・・;)他人を許すことは自分自身の緊張を緩くすることになるような気がします(^^)人は間違い、勘違いはするものです。例え犯罪を犯しても死刑以外は懲役で償うなら【許してあげよう】ってのが前提であるのかな?(^^)先日、ある殺人犯に死刑が執行されましたが、死刑判決は裁判員という一般市民を含めた死刑判決は初めての事だそうです。その時の裁判員を務めた男性は男性の死刑執行されたことで心に大きな傷を持ち、その男性の顔を生涯忘れないと言ってした。人が人を裁き極刑を出すことは裁く側にも、これからの人生、辛く厳しく心の中に渦巻いている【死刑】と向き合って生きていかなければなりません。その男性は友人に、こう言われたそうです。『お前、人を殺すのか?』死刑を宣告された人は殺人を犯したのは事実で本人も『極刑を覚悟しています』と法廷で言ったそうです(・・;)しかし?裁判員を務めた男性は後悔の念で潰れそうな表情で語りました。『もう2度と自分と同じ思いをする方は出て欲しくない。』話しは逸れましたが、殺人犯でさえ?裁く側に『殺人は許せない!だから死刑だ!』と許せない心で裁くことで後々、裁いた自分自身が苦しむことになるのです。だから(^^)少々のことは許す心でいた方がいいはず(^^)復讐するは我にあり(・・;)は人が人を裁くのではなく神様が【カルマ】として与え本人が気づくまで与え続けるわけですから私達人間は同じ人間を許すこと。裁判官の様に仕事や役割で裁く人達は『懲役10年で許す】ったな心で判決を申し渡さないといけないような気がしてならない今日この頃です。