文句ばかり言う人は心が砂漠のようになっているのかな?(・・;)仕事、食べ物、人間関係、お金、物など、無い物ねだりばかりしてる人。今、仕事があるのに給料が安いとか休みが少ないとか?三食食べてるのに美味しくないとか?肉じゃないとダメとか、親兄弟も居て友達も居てるのに親が煩いとか、今の環境が当たり前と思っている人(・・;)失わないとわからないのかな?文句や意見ばかり言うけど自分は何もしない人。人に文句を言ったり環境に不満ばかり言ってる人に限って何もしない人って少なくないような(・・;)言葉と想念は必ず跳ね返って来ます。当たり前と思っている限り文句ばかりで反省と感謝の芽は永遠に心の中に出ることはありません。幸せを呼ぶには反省と感謝の気持ちを心に持たなければやってきません(・・;)例えば、雨の日?駅に奥様が迎えに来るのが当たり前?だって俺は一生懸命働いているんだ!女房なら迎えに来るのが当たり前だろ?これでは夫婦は上手くいきません(・・;)では奥様から見れば旦那が一生懸命、働くのは当たり前でしょ?と言われたら?どう思います?まして奥様が旦那は一生懸命、働くのが当たり前と思っていれば雨だからと迎えに何故?私が行かないといけないの?って思うわけです。ここに、この夫婦の幸せはあると思いますか?反対に、奥様が旦那様に毎日、お仕事ご苦労様と感謝し旦那様も奥様に家事の大変さを感謝していれば、雨天の日には奥様は駅まで車に乗り迎えに行くことでしょう。当たり前の事って意外と簡単なようで大変なんです。難しいことはなくても大変なことはあるわけです。それを互いに理解し合うと幸せを感じ新たな幸せも訪れるのではないかな?文句は自分の思うようにならない時に出ますよね?文句はマイナスの波動を発信します。だから喧嘩になったりもします。周囲に重い空気を撒き散らします。昔、テレビで言ってたコピーで【暗いという前に進んで明かりを付けよう】このコピーを少し掘り下げて考えてみて下さい(o^^o)
言葉は言霊(o^^o)その【チカラ】は私達の想像以上でないかな?と。日本語ほど言葉の表現が豊富で文字も多種多様な言葉はないと思っています。漢字、平仮名、カタカナ、ローマ字(o^^o)そんな言葉の中で【お陰様】という言葉。どことなく聞くと心が穏やかになれる言葉ではありませんか?『お陰様で何とかやっています(^^)』と聞くと周囲の人から支えられている感謝の言葉に聞こえます。『貴方のお陰で助かりました(^^)』とか。人は支え合って生きている実感を味わえる言葉ですね。
人の不幸は蜜の味?(・・;)蜜と言えば蜜なのかも知れません。但し蜜の中には依存性の強い覚醒剤が混ぜられた蜜のようにも思えます。近所で火事があると野次馬がたくさん(・・;)その内、本当に気の毒に思っている人は、果たして何人いるでしょう?会社でライバルが左遷されたら?反対にライバルが先に出世したら心から喜べますか?仲の良い友達や彼、彼女、子供、親など、自分との関係が濃ければ濃いほど心底、幸せを望みます。親は子供が不幸になると何とかして助けてあげようとします。彼、彼女でも結婚を考える相手ならば自分が身代わりになっても守るでしょう(^^;;でも敵対する相手や嫌いな相手、邪魔な人などなどの不幸は?いかがです?こういう対象の人達が不幸になると蜜の中に覚醒剤が混じり、もっと、もっとと思う事もあるのでは?噂話で流したり。憎い相手が共通する人と話すと共鳴と共感がマイナスに作用していることに気がつかず人の不幸が快感へと変える覚醒剤(・・;)何度か言葉に出すと言霊となり、言霊が想念となります。時々、高速道路などで、渋滞や停滞に遭遇するとき原因が事故であることも(・・;)事故発生の車線が渋滞ならまだしも事故が起きてない対向車線が渋滞になってることもしばしば(・・;)原因は事故の状況を見るため徐行するからです(・・;)野次馬根性は人の不幸を物珍しく見つつも心の奥底で気の毒にと思う反面、自分じゃなくてよかった(・・;)という人の不幸を逆手に取る心理ではないかな?火事や事故は本当に心から相手の事を思うなら野次馬にならないことではないかな?と思うのです。そんな小さな心の深層心理が、自分にとって嫌いな人や邪魔な人が不幸に遭うと、自然に(ザマァ見ろ)と心に芽生えるわけで、その芽が育ち種を作り知らず知らずに撒き散らすと後で刈り取るのは自分自身(・・;)あたり一面にマイナス波動の御花畑になりますから(・・;)その、お花の蜜は決して甘くありませんよ。