人生を振り返ると結構、シンドイ人生だったのかな?確かに、あえてシンドイ道を選んでいるのではないか?と思う事があります(^^;;その時は、あえて選んだつもりではないのですが導かれると言いますか(・・;)数秘術マスターナンバーゾロ目さんは、与えられた役割を分からないままに人生を終わる事が少なくないと多くの関連サイトに書かれていました(・・;)それを気づかせるために天は苦難や試練を準備しているらしく、役割から遠のけば遠のくほど生きづらくなるとのこと(・・;)振り返れば思い当たる節が少なくありません。マスターナンバー33であることは最近になって知りました(・・;)この番号の中身を知れば知るほど納得(^^;;そして不思議と楽になりました(^^;;妻は11で直感は確かに鋭く感性は豊かすぎるほどです(^^;;マスターナンバーが特殊か?どうかは、どっちでもいいこと。人生を振り返り幾つかの苦難や困難を与えられているとき『何で?俺は恵まれてなあえのか?』『普通がいい。それだけやのに!』と思ったことは何度かありました。でも私は気づかないまま50歳を越えて、おそらく、この試練を受けて気づかなければ私の人生は地に落ちたのかも知れません。その試練は【脳出血】(。-_-。)さすがに生死に関わる病になり後遺障害を持って残る人生を生きていくことになると人の優しさや温かさ、人は支え合って生きていることを実感してから私の心に大きな変化が起きました。少しづつ、これまでの人生を反省すると感謝の気持ちが溢れ始め、そこから不思議なチカラで【守られている】実感があるのです。その【守られていると】は、とにかく自然の流れに身を任せるように心を持っていると事がスムーズに良い方向へと向き始めました。退院してから人間が生きるという事、そして【死んだらどうなる?】を考えスピリチャルなことに興味を抱き現在に至ります。数秘術を見ると私や私の家族を見ていると、しっかり当てはまっていたのには驚きでした。マスターナンバー33は無償の愛。脳出血で倒れてから少しづつですが与える喜びを知りました(^^)勿論、数秘術を知る前からです。漸くマスターナンバーの入口に立てたのかな?と思う今日この頃です(o^^o)
人間は死んだら終わり無になると考える人と肉体は死んでも魂は生きると考えてる人といます(^^;;前者は唯物論であり臨死体験は脳が作り出す幻覚であると言ってます。多くの科学者は人間の死を証明しようともしています(^^)確かに脳のニューロンは現代科学において人間の意識について臨死体験などの現象は照明してきているようです。しかし?臨死体験ではなく前世を語る子供が世界中で多く存在しているのは?科学で、どう説明するのでしょう。その前世の記憶は調査を進めると事実であることも一方では発見されています。臨死体験などには科学者は死後の世界を否定するものの前世の記憶、いわゆる輪廻転生してきた子供の記憶に対しての科学的な証明は不可能なわけです。ここで前世の記憶を持つ子供とマスメディアがテレビを使った【やらせ】だと言う人もいるかも知れません。でも【やらせ】で無ければ?私は、このブログでも書きましたが親しい友人の奥様は亡きご主人と会っているのです。ご主人は49日法要以後は現世には現れていません。また父親が亡くなって初盆の時、父親が過ごしていた部屋、そして廊下から玄関、トイレ付近までタバコの匂いが充満していたのです。生前、父親はヘビースモーカーで本当にタバコが好きでした。その初盆の時、私と長女はタバコの匂いが分かったのですかが妻と次女は『タバコ?匂わへんよ!』タバコの匂いに敏感な妻が匂わないと言うのです。でも私と長女は臭いほどタバコの匂いが感じられたのは今でも不思議なことでした。話しは逸れましたが私なりに思うのは昔の人からの言い伝え通り人間が死ぬとお通夜があります。母からは『もしかしたら生き返るかもしれないだろ?』とは言われましたが、お通夜の内に肉体と魂を繋いでいるシルバーコードをお迎えの魂が切るための時間作り、亡くなって49日、満中陰は亡くなった人が自分の死を認識して天国へと行く日、初盆は魂が、まだこの世に残した家族へ会いに来れる日、一回忌はこの世には戻れないけど想念を家族や思いのあった方々へ夢の中で会える日。でも、その人達に霊感が強くないと会えないのかな?(・・;)話しは逸れましたが私は個人的には人は肉体は死んでも魂は永遠だと思ってます(o^^o)
平成25年6月16日は私にとって忘れられない日でもあります(・・;)仕事中、電話で話している最中に突然、頭の中に雲がかかったようになりボヤーッとしたかと思うと身体中のチカラが抜けて行きました。呂律は回らず、デスクにうな垂れたかと思うと、そのまま椅子から転げたところを同僚に抱えられたのです。『救急車ーーッ!!早く連絡せそうんかーーっ!』私を抱えながら大きな声で叫ぶ同僚の声。ザワザワと周囲の動き。時折『大丈夫ですか?』と聞いてくるフロアの社員達。数分後、救急車は到着。担架で運ばれ、病院へ。『ご主人!着きましたよ!病院!』救急隊の言葉に安心したのか、その後、意識を失ったのです(・・;)この時の状況は今でも忘れられません。デスクに倒れた時、私は死を覚悟していました。妻と娘達の顔が脳裏に浮かび何もしてやれなかった事をとても後悔しました(・・;)後悔の気持ちが『生きたい!』と強く心に叫んだのです。あれから3年が経とうとしています。この3年間、私の心の中は日々、変化していき人生を振り返るとともに、これからの人生は後悔のないようにしよう!と。それは贅沢をすることではありません(o^^o)人の為に尽くすこと(o^^o)どんな小さな出来事、ほんの一瞬の出会いを大切にしよう!と思えるようになってきました。今の私に出来ることは小さなことしかありません。そんな気持ちから始めたブログです。もし?私の経験が読んで頂いてる方々のお役に立つのなら?(o^^o)そう思っています。
残業代請求訴訟について裁判所としても和解の意向を示しています。今月半ばに原告被告双方の代理人が話し合いこととなっています(^^;;私は名ばかり管理職として訴訟提起しましたが当初は残業代など請求するつもりは全く無かったのです。いや、残業代は勿論、損害賠償を求める訴えさえ考えていませんでした(^^;;では?何故、会社を訴えようと思ったか?それは会社代表者親子の本音、本質がわかったからです(^^;;私は入院中は少しでも早く復職したい!それだけでした。入院中、現在の会社に入りガムシャラに頑張って6年、振り返れば代表者3名親子 は従業員を単なる道具としてしか考えていないのでは?これまでの彼ら3名の言葉、行動、また古参社員から聞いた彼らの言動と行動。そして私が入院中に見舞に来た時の言葉、多くの出来事が頭の中を駆け巡ると?彼らの会社経営の根本に全く愛は無いと。お客様や物件オーナーは金の成る木にしか考えておらず本当の意味での経営理念というものが存在しないことに気づいたのです。私の心の中では複雑な想いが。何処の会社も、こんなような物ではないか?いやいや、キチンと経営している経営者も存在している。そう思い直し、今の会社の経営者3名に対し憤る気持ちが一杯になったのです。労災保険も認定され厚生障害年金と合わせれば充分に生活は安定しています。お金は無いより有ることに越したことはありませんが大金が欲しくて裁判を提起し会社を訴えるわけでは決してありません。このように書いても『綺麗事を言うな!金やろ?』と思われる方もおられるかも知れません。それはそれで仕方ないこと(・・;)世の中、お金の力も使い方次第で大きくも成れば、全く無力でもあるのがお金ではないかな?と。裁判は私が裁くのではありません。社会が今の会社を判断し裁いてくれるのです。会社が行っている労働環境や経営方針、様々な様子が1人の従業員が過労死したり後遺障害を残してしまったことで社会が会社の是非を判断してくれるのです(^^;;慰謝料など、お金は、その結果に過ぎません。勿論、訴えて敗訴した時は会社の方針を是として裁判所が認めた結果なわけです。本物の会社ではない。創業者一族の打ち出の小槌のようにしか会社を考えてないとしか思えないから残業代も?後遺障害も?訴訟提起する決心をしたのです(o^^o)一時は万事。社員旅行積立金を給料から天引きしておいて旅行に行かなかった場合でも返金しない。自分を欲張りだと自負する創業者。宅建主任者でない従業員が賃貸契約の重要事項を説明することは法律違反なのに平気で行う。オーナーとの管理契約を反故にしようとする。などなど(・・;)本当の本物の会社会社へと成長をして社員が、この会社で働くことで幸せになって欲しいなぁ(o^^o)私の裁判で少しでも変わってくれれば。そんな思いで裁判をするのです。