脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

今世の問題集(o^^o)その1

2017年01月08日 12時30分18秒 | スピリチュアル
人は生まれてくる前に『今度の人生で、どんな課題や問題集を作って魂の修行をしようかな?』と人生のシナリオを作って生まれてくるそうです(^^)もちろん魂のステージに合ったシナリオ。小学生レベルの魂なら小学生のシナリオ。高校生レベルの魂なら高校生のシナリオという風に。そして、そのシナリオには数え切れない程の登場人物がいて、その中でも親兄弟はもちろん、友達や知人なと自分のシナリオで影響ある人達と事前に打ち合わせもしてるそうです(^^)だから打ち合わせ通りの親のところへ生まれてくるらしいのです。私は、それを、とあるスピリチャルサイトで見た時『ふ〜ん( ̄▽ ̄)じゃ、俺って、かなり欲張って問題集を作ったんかな?』と思ったのです。ビンボーな家庭に生まれ、中学の新聞配達からバイト人生、勉強は宿題すらやらなかったのは勉強より働くことの勉強が人生の課題だったかも知れません。大学は希望大学は落ち、どうでも良い大学は合格したものの、あえて進学はしなかったのは今になって思い出すと、なんか、なんとなく、そうしなければならない気持ちになっていたのです。そして喫茶店のフリーターから一歩一歩と這い上がり消費者金融会社で、それなりの立場まで出世したものの?プライベートでは離婚、再婚。リストラ。47歳での転職。ここからが問題集を解いて行く本番であったと思うのです。それまでの人生は、その本番に備える準備だったのかな?私1人では課題や問題集を解いていく事が不可能なので今の妻と再婚したのかも。妻にも問題集がありますしね。転職の後、長女の拒食症や次女のリストカットに不良化(T_T)そして私の脳出血で遂に働けなくなりました。神様は絶対に見放さないのは妻は病気らしい病気は結婚して一度もありません。この事が何か見えないもので守られているのかな?とも。そして現在は妻の母の認知症と無関心な義兄が私達夫婦夫婦の問題集の難関問題として目の前に立ちはだかりました。
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家庭裁判所申立の決意(><)その三

2017年01月08日 12時07分11秒 | 義母の認知症
決意が固まったのは義母が施設入居を受け入れてくれたからです。詳しくは数日前のブログに書きました。義母の同意を得て今月4日、近くの家庭裁判所へと説明を聞きに行くと相手方住所を管轄する裁判所へ申立しなければならないとの事(><)思わず義兄が同じ関西であることは唯一の救いでした。もし東京や名古屋とか地方だと思うと、それは大変の一言。申立には義母、義兄、妻の戸籍謄本が必要なので早速、郵送申請しましたが義兄が転籍していると、もう郵送での、やりとりは時間がかかり過ぎます。転籍した場合は転籍先へ直接、出向き戸籍謄本を取得し、その足で裁判所へ行く事にしました(><)調停は一回では成立しないと予想し万一、調停から審判となったり欠席されると更に長引きます。義母の認知症進行度から考えると春ごろには義兄と決着をつけておいた方がリスクは少なくすみます。そして義母の扶養請求調停とは別に、もう一つ調停しないといけない案件があるのです。、
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家庭裁判所への申立決意(><)その2

2017年01月08日 11時30分00秒 | 義母の認知症
2016年大晦日。義兄は認知症の母と知りながら温かい言葉一つ言わず立ち去りました。安いお菓子とカレンダーを置いて。『とにかく冷たいしケチ。』妻は一言。そういえば10年程前に義父が他界し、その時の通夜前日、義母の弟が駆けつけてくれた時の事、義母の弟(義兄の叔父)が義父の息子である義兄にお悔やみの言葉をかけたとき、義兄は笑みを浮かべ『順番ですわ〜。』と言ったそうです。さすがに叔父は『何を笑って言うとんねん。』呆れて返したそうです。この時、私は居なかったらしいのですが。義父の葬儀も無事に終わり義母が弔問客から頂いた香典を整理しようとした時、『あれ!通夜の分があらへん!』慌ててる義母に間髪入れず『何をしとんねん!』と自分の母親を怒鳴りまくったそうです。義父の葬儀を終えた矢先の出来事。義母は泣きながら義兄に土下座して謝ったらしく、結局、通夜の香典袋は自宅の二階にあったのを妻が見つけたらしいのですが妻から聞くと義父の葬儀にかかった費用は全額義母が負担。喪主は義兄。義父が他界し寂しさに打ちひしがれている自分の母親を怒鳴りつける息子。このときも私は娘達と葬儀会場にいたので遭遇してませんでした。話しは逸れましたが、一時は万事の言葉の通り義兄は義母が認知症になっても知らん顔。また知ろうともしないのです。2017年の元旦。義兄の長女から義母宅に珍しく電話が入りました。おそらく年始の挨拶でしょう。電話の向こうで孫が名乗ったのに『◯◯子?どちらの◯◯さんでしょうか?』なんと孫の名前を忘れてるのです。
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家庭裁判所への申立の決意(><)その1

2017年01月08日 10時45分29秒 | 義母の認知症
義母の認知症の進行もあり昨年の秋から私達夫婦は動いています。まずは義母の健康と命を守るためにどうするか?当初、妻は母を引き取り介護を考えましたが私という既に身体障害者二級を背負っており、この上、母の介護は不可能。ネットやユーチューブで認知症介護の壮絶さを見ると妻も断念。特別養護老人ホームを検討すべく私の担当ケアマネジャーに相談しましたが、やはり2年、3年待ちであり要介護3以上が入居資格だそうですが義母は要介護2のため特別養護老人ホームも断念し有料老人ホームの施設を探し始めたのが昨年の夏。パンフレットの請求や介護関連のサイトへ会員登録をしましたが結局、義母の世話になっているケアマネジャーが紹介してくれた施設がベストとなりました。施設の模索中に義兄の義母の扶養をどうするか?のため大阪の家族問題専門の弁護士事務所へ相談に行ったり(><)弁護士からは家庭裁判所への申立をすると言うので高い弁護士費用を払うくらいなら自分達で家庭裁判所にタイミングを見て申立をしようと考えたのが10月下旬でした。心の準備を整え、義母の認知症が進み1人暮しが困難になれば行動しようと。しかし義母の施設入居の説得をどうするか?が意外と高いハードルだったのです。そう思いつつ義母1人の年末年始を迎えるのは寂しかろうと昨年と同じく今年も共に正月を迎えるため昨年年末には義母宅にいました。そして大晦日。義兄から義母宅に電話があり『何か欲しい物ないか?』義兄の言葉に義母は『娘夫婦が来てくれてるから何も要らん。』そう答えて電話を切った数十分後。義兄が突然、やってきたらしいのです。ダイニングに居た私は状況が分からず妻が『これ、投げるように黙って玄関に置いて帰って行ったワ。私は居間に居たから顔を合わせてへんけど』ダイニングテーブルに置かれたのはココナッツサブレと横綱あられ、それと義兄の勤める会社のカレンダーのみ(><)『え?これ?大晦日に?義兄さんはお義母さんと話しは?』私が聞くと『黙って帰った。』一言。呆れるやら何やら。居間に行くと座り込んで呆然となっている義母の姿が余りにも可哀想すぎでしたが私は言葉をかける事は出来ませんでした。
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曜日と日にちを認識出来ない(><)

2017年01月08日 10時00分05秒 | 義母の認知症
昨日の夜、いつものように妻は母へ電話しました。義母は介護保険更新時期で本日、ケアマネジャーが来ることになっていたので、その確認の電話です。『今日、Sさん、来はった?』Sさんとは義母のケアマネジャー。妻の問いに『うん。来てくれはったよ。』医師の所見が書かれている書類をケアマネジャーに無事、手渡ししたのですが。『えと、えと、あ、ヘルパーさんは?』義母が毎週来てくれるヘルパーが来ないというので『お母さん、ヘルパーさんは来週10日の火曜日に来るのよ。』妻が答えると『えー!ちゃうやん!今日が10日の火曜やんか!』絶句する妻。『お母さん、今日は7日の土曜日よ。』義母は違う違う今日は10日の火曜と何度も言うのです。何度か繰り返し妻が説明し漸く納得したかと思うと、『ヘルパーさん、いつ来るんやった?』ほんの2ヶ月前は、こんな事はなかったのです。認知症は突然、ガクッと進行するとは聞いていましたが。電話を切った後『もう、ホンマあかんかも。』元旦の日に孫の名前も忘れたりしたこともあり妻は母の認知症を受け入れたとはいえ、目の前で壊れていく様はかなりショックなのです。義兄は全く無関心。家庭裁判所への申立には戸籍などの書類が必要で今、申請したところ。申立して初回調停はおそらく2月末。有料老人ホームの受け入れが可能になるタイミングも。あれこれとクリアしなければならない事が多く妻の心労は大きくなるばかり。とにかく、思いの外、早まった認知症の進行が重くのしかかってきたのです。
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