人生若い頃はホントに夢や希望(^^)でいっぱい。身体も健康。30歳から働く事の楽しさ、そして家族を持ち前途洋々と。人の一生、40歳を越えたあたりからホントの魂の修行かなと私の場合ですが振り返ると思い当たるのです。30代までの行動や思考が40歳代に答えとして出て今の50代後半も、それまでの行動と思考の結果d( ̄  ̄)要するに積み重ねた結果です。多くの人達のホントの苦楽は50代を越えないと見えてこない。誰でも人に言えない苦労、苦しみの一つや二つはあります。でも?ぱっと見は自分以外の人達は幸せそうにしか見えない時も。そんな思いの時は『何で俺なんだ。』と思いがち。違うのです。誰でも何かを苦しんでいるのです。50代を越えてる多くの人は。病気、お金、孤独、介護、失業などなど。50代からがホントの人生の問題集を解いていく総仕上げに入る入り口の年齢なのかも知れません。これまでの人生で培った基本問題をもって50代からは応用問題に入るのかなぁ。平均寿命が伸びたのも神様からのはからい?50代になってからというもの。つくづく、生きるとは、これほど大変なものか?と実感する今日この頃ですd( ̄  ̄)
義母が認知症と診断され一年半ほどになります。ここ半年ほどで、その進行度合いがはっきりと分かるほど状態は悪化しており施設入居を準備していた、ここ2、3ヶ月。まだ徘徊や昼夜逆転、妄想などはありませんが、とにかく記憶することが著しく低下しています。そんな状態なので妻は、ほぼ毎日のように義母へ電話をしているのです。そして最近では『あのな。散歩に行ってたら、妙にお尻が生温いと思ったら、恥ずかしいねんけど、ウンコが出てん。』妻は、スマホをいつもマイクで義母との会話をするので私にも義母の声が聞こえるのです。先月あたりは便秘で悩み1週間も便が出ないと悩んでいたので医師から下剤を処方されると今度は下痢。そんなこんなで昨年、処方された下剤を今は飲んでないはず。『お母さん、下剤は飲んでないよね?』妻の問いに飲んでないとの返事。今年に入り義母は散歩中に脱糞を三度ほどしていましたが昨夜、『またやねん。』一応、大きめの生理用ナプキンを付けて散歩に行ってるそうなのですが『えらい汚れてなぁ。全部、洗った』妻は電話を切ってから『めまいの持病もあるし、もうお尻の締まりも良くないみたい。』認知症になると便のコントロールが出来なくなってきて、そのうち洗うとか掃除とか出来なくなって家の中の廊下、壁に便をなすりつけたりするらしく、その臭いと汚れが同居家族の大きなストレスにもなるとネットでも見た事があります。『施設入居の準備をしているのは良いタイミングなんかな。』妻がポツリと溢しました。今年3月で81歳を迎える義母。『頑張って、頑張って生きてきた人やのに•••』歳を重ねるって、こういうこと?なんだか複雑と言う妻に黙って聞くだけの私でした。