年が明け次女は大手ハンバガーチェーンのアルバイトを始めました、ちょうど・・そのころです。ある日曜日の午後、ラインで知り合った女友達とイオンモールへ遊びに行ったときのこと・・そのラインで知り合った子(仮にC子とします。)が次女に『なぁ・・Y君のこと知ってる?知ってたら呼んでくれへん?』と頼まれ次女もY君のことは知っていたようでイオンモール内にあるフードコートに居るからとY君を呼び出したようです。次女の話しっぷりだと結構、イケメンらしく反対に正直C子は御世辞にも可愛いとは言い難い女子・・当日、C子は上下のジャージ姿で化粧もしないし体格も男顔負け・・・次女は、そこそこの顔立ちでファッションに煩い方・・フードコートにはY君だけでなく、その友達数名が、やってきたらしい。『E香!久しぶりやなぁ~』って感じで次女に話しかけてくるので次女もテンションアップで『久しぶりッ!!』と挨拶を交わした後はC子の存在を忘れY君と、その友人達ち意気投合したらしくC子は途中で『ウチ帰るワ(´・ω・`)』と・・C子としては全く『輪』の中に入れず寂しい思いをしたのでしょう・・・次女はイオンと駅とのシャトルバスのバス停までC子を送ったようでC子が帰宅後は大盛り上がりだったらしい・・・その話を聞いた私は『C子ちゃんに構ってあげんと・・』と言うも『C子がY君を呼んでって言うから呼んだだけや。あとはC子次第なんちゃうん?男子かて顔面見て判断するやろ?ウチは悪くないやん・・』良し悪しの問題ではないのです・・さらに次女は『C子が呼んでって言ったから呼んだしY君も友達連れてくるとは、ウチかて思ってへんかったもん・・ま・・引き立て役にはなってくれて・・ウチとしては良かったかも (^^♪』という・・(アカン・・このままやったら)と思い聞いていると『わッ C子からライン来た・・ムッチャ病んでる・・』というので『フォローしてみたらどうや?』といよ『放っておいてやて・・ウチのラインもブロックする言うてる・・フォローしようがないやん・・』何やら良くない予感がしたのです・・この日は、これで終わりましたが後々、この一件で次女は日ごろから高校を辞めようか、どうか迷っていたのが辞める決断の背中を押してしまっていたのです。翌日・・・『御父さん、どないしょ?C子・・ムッチャ病んで、引きこもってるらしい・・ウチのせいなん?C子が呼んでって言うたから呼んであげたのに・・構ってあげへんかったから?何かC子が病んでるん、ウチのせいになってるって・・他の友達からラインあって・・ワケわからん・・』・・・次女も心が病んでいたのは親である自分と妻にも原因があるのです・・勿論、高校の友人関係・先生との関係・・校則・・・姉のこと・・複雑にE香の心に糸が絡んでいたのです・・私が退院し、スグの頃『御父さん・・通信制高校に行ってええかな・・ウチ、壊れそうやねん・・あえへん・・あの高校・・』受験勉強を一生懸命にし妻と合格発表を見たときには涙して入学した学校を・・やめたいと言っている・・・その時、私は怒りはしませんでした。それは長女が高校2年生の時、転校を希望したのです。当然、偏差値を下げないといけません・・私は長女の話も聞かず猛反対しました・・・その後なんです『拒食症』になってしまったのは・・その経験が頭をよぎってしまったのもあります。また私の病気再発の恐怖もあって『怒』はNGなのです・・次女には通信が悪いとは言わない、あと3か月もすればクラス変えもある・・少し考えてみるよう伝えたのです。その矢先・・・次女のツイッターにラインが炎上しました。『おい!出てこい!!その顔、カッターで切り刻んだるッ』こんなラインが・・女の子とは思えない表現で次女のラインにポンポンと入ってくるのです『おい!よくもウチの友達、コケにしてくれたな!!学校休むなヨ・・校門で待っとるワ』『オマエのバイト先・・Mバーガーに行ったるゾ・・ほんで暴れたる!!』『この人知ってる人・・見かけたらウチにラインで連絡チョーダイ』と書き次女の写真を載せてるのです・・さすがに次女も怖くなり『お父さんッ・・どうしよう??』半べその次女。『ラインは未読無視とブロックやな・・明日は学校、休んだらええ。落ち着くんやで。』と言うも『何なん?なんで、こんなゴチャるん?頭、沸いてるやろ、コイツら・・』半分、パニクってる状態では対処のしようがなく『今日はバイトも休んで家にいたらええ。一晩、ゆっくり考えよう。』そう説得すると『そうする・・』そういって部屋に閉じこもってしまいました。
4月に入り桜も綺麗に花をつけ・・ところによっては早くも葉桜になりつつある木もある頃、妻に連れ添われ大阪のK医療センターへと向かいJR天王寺駅に着きました・・今日は初回の検査でもあり(いったい・・どんな検査やろうか・・)天王寺駅バスターミナルから見える近鉄ハルカスも無事オープン・・日本で一番高いビル・・横浜のランドマークタワーを超える高さらしいのです。ランドマークは横浜在住時に一度、娘たちを連れて行った記憶があり恥ずかしくも自分の車を止めた場所がわからなくなりビルの守衛さんと一緒に探した思い出があります(*^_^*)当時、長女は小学5年生、次女が2年生でした・・・あの頃は二人とも可愛らしかったもんです・・・・まさか・・その後に大きな事態が待っているとは努々、思いもよりませんでしたが・・・さて杖を持ちヨチヨチ歩きの私の腕を持って妻は『ほら・・段差あるよ!!』妻には病気になってからは苦労ばかりかけて申し訳なく思うばかり・・バスの扉が開き乗り込もうと前を見たら年配の女性が私を見るなり『ここ・・どうぞ、座ってください。』と優しく声をかけてくれるではありませんか。妻も私も『ありがとうございます。』とお礼を言い女性の好意に甘えさせてもらいました。15分~20分ほどで病院に着き、病棟の奥にあるリハビリ科へと歩いていきますと・・段々と人影も減り薄暗い・・リハビリ受付に到着・・受付で診察券を渡し待つこと数分・・・『○○さん・・どうぞ、こちらへ』通された部屋には机に椅子があるだけの閑散な部屋でした。臨床検査士の紹介を受け早速の検査説明・・予定時間は2時間~3時間あり個人によって3時間を超える場合もあるとのこと。妻は病院内にあるカフェで待っているので終われば携帯に電話することになっている。説明が終わって『ご質問はありますか?』と臨床検査士。『別にありません。』と答えると『では始めましょう・・』と言われ何か書いてある紙を机の上に出され『これは練習4問題です。例にならって行ってください。』検査内容は、このブログではお伝えできませんので割愛しますが、単純な作業であって少しずつレベルアップし熟す量も増えたり・・写真や道具を使うもの・・臨床検査士の口頭質問に答えることや計算・記憶を問うテストなど、そのメニューは多かったのです。やっと終わったと思って時計を見ると15時を過ぎたころで丁度2時間ほどで終わりました。『今日はお疲れ様でした、では次回も宜しくお願いします・・それと、これ宿題ですので自宅でやって次回に持参してください。』と言われ茶封筒を預かり妻の携帯へ『今、終わったよ。』ホツとした気分で伝えると『予定時間やったね、今から受付に行くから待っててね。』受付前のソファに腰掛けると目の前に血圧測定器があったので思わず計測・・いつもの数値で110-70前後。(血圧依存症??かな。)と思う自分でした。この日は医師との面談はなく、そのまま病院を出てバス停へ。横断歩道で信号待ちしてると反対車線から天王寺・阿部野橋行きバスが到着・・『あ~あ。タイミング悪ッ・・もうッ!行ってしもうた・・次・・待たなアカンやん』と妻がプリプリ(`へ´)=3『スグ次のバス来るって』と宥めるも『もうッ』とまだ・・・・横断歩道を渡りバス停には待ち時間5分とあり『5分でよかったワ。お父さん帰りにハルカスにでも寄っていく?』と機嫌を直したようでしたが私は検査疲れもあって『今日はやめとこ』というと『そやね。お父さん疲れてるし・・駅構内にあるマネケンでワッフルでも買って、おウちで一緒に食べようか♪』と気遣ってくれるので『ワッフル、俺が奢るワ』と言ってあげると『ええのん?・・やったラッキー♪』少し、はしゃぐ妻を見て(ホンマ、結婚してよかった)そう心に思うのでした。天王寺駅について、お目当てのワッフルを購入。さすがに電車の中では、つまみ食いは出来ません(^^♪ 自宅に戻りワッフルを食べながら弁護士へ経過報告のメール打ちました。
次女の外泊の翌日、妻が仕事を終えて病院に来てくました。表情は暗く気のせいか目も落ち込んでいて昨夜は眠れなかったのでしょう・・・『お父さん・・もう・・どない、あの子に言ってええか・・わからへん。私は犯行き期いうもん知らんと大人になったから・・あの子の気持ちが理解できへん・・今朝、早くに帰ってきてから学校に行ったけど一言も口をきけへんかった・・』私は黙って、妻の言葉に耳を傾けて聞いていると『お姉ちゃんが拒食症になったのも・・・私の責任や(泣)E香には拒食症になって欲しくない・・でもな・・あの子、リストカットしてるねん・・もう・・言ってしかりつける事も・・怖くて・・・』妻は涙目になって私の方をみつめ何か言葉を待っているような感じだった。『リストカットは心の病気からおこるもんやと、お姉ちゃんの拒食症の時にカウセリングしてくれた先生が言うてた。E香が中学3年のとき・・俺に泣きながら訴えてきた時があった・・A香が拒食症で、どん底の時やった・・俺もお母さんもE香を見てなかった・・ちゃうかな・・あの子と、どう向き合ったらええか俺も良くわからへん・・来月、退院するから退院してからE香と向き合ってみる。お母さんはE香が話してきたら聞いて共鳴したり、相槌うったりしてあげて・・絶対に、お母さんから指示したりしたらアカンで・・』と言うと『あの子・・私に話かけてけぇへん・・』うつむきながら話す妻に『大丈夫や、根競べやで。あの子が話してくるまで待っとき。必ず学校とかバイトとかの愚痴・・言ってくるから、あの子の心の奥にあるもんを出してもらうには、まず愚痴を吐き出させる・・この方法はカウセリングの先生から教えてもらったやろ?』と妻の背中へ手をやると『うん・・わかった・・頑張ってみる・・』とにかく退院するまでつないでくれ・・そう心に願って妻を見送ったのですが・・・はてさて私も妻に偉そうなことを言いながらも、どう次女と向き合っていけばいいのか・・・わからないのが現実でした。
友達のところへ泊まりに行った翌日の朝から気が気ではない状態でした・・いつものように看護師が血圧と体温を測りにきて『○○さん・・どないしはりました?なんか元気ありませんけど・・・え~っと血圧は110-70 体温も平熱ですね。』いつも笑顔の看護師さんに対し暗い表情で『べつになにもありません。』と返すのですが心の中では(娘が外泊して心配で心配でたまりません)と叫んでいる自分がありました。気持ちも落ち着かず昨晩もほとんど寝ていない私は朝食も、そこそこに妻へメールしました〚E香、帰ってきた?メールください〛と。気持ちを紛らわせるためテレビのスイッチを入れたものの・・内容は上の空(´・ω・`) そんなとき・・・ピコッ♪ 私の携帯に着信が長女からラインが来ました〚E香のツイッター見たら原チャリ(原付バイク)の後ろに乗って走ってる写真がアップされてんで・・ほんで男の子何人かと女の子何人かでワイワイしてる写真もある。お父さんが、こんな時に・・あの子、何してんねやろ。〛こんな気持ちの時に・・余計な心配するようなラインを送って来たなと思うものの長女なりに入院してる私への情報提供のつもりなのであろう・・・・既読無視はできないので〚ありがとう・・お母さんと対策練るから・・〛と返すと、すぐに『何か、あったん?ウチからE香に言うたろか?』と・・とにかく今は何も知らんことにしておくように長女へはラインで返信したら『わかった』と返信。私としては昨夜のことだけでも頭がイッパイになっているところへ原付の二人乗り・・当然、ヘルメットはかぶってないのです・・・16歳・・多感な年頃でもあり性への関心も高まる頃です。娘を信じるしかないのでしょうか?父親としてしかりつけるべき・・なのは十分に承知してますが感情が高ぶり声を大きくすると・・脳出血で倒れた・・あの感覚に近いものがあるのです。私の性格上、静かに感情を抑えて娘に話せる自信はありません。思い悩み・・その日はリハビリも休ませてもらい自分なりに考えていくことにしました。