先日、妻と二人で少し贅沢なランチをしに行きました。贅沢といっても一人2500円の懐石風ランチ。プチ贅沢ですが、この5年間、私達家族にとってあまりに激動な月日だったので旅行は、おろか妻とちょっとした御飯も行っていません。思えば長女の拒食症に始まり我が家の歯車は大きくズレ始めたのです。家族一人ひとりに困難と試練が怒涛のように降り注ぎました。その大波の中、私達家族の船は難破船となり船長の私が脳出血で倒れ・・当時は数々やってくる大波を時に恨んだことさえあったのです。でも・・今、少し落ち着き始めました。長女の拒食症は完全治癒とは至ってませんが体形も戻り仕事もgさんばっているようで最近、優しい彼氏も出来て幸せと言ってます。次女もようやく落ち着き、就職活動中。最近、一人暮らしを始め次女も『お母さん・・大変やってんな。一人暮らししてわかった・・』とボソツと私に言うのです。二人の娘たちは自立しましたが私の携帯に良く連絡もくれます。妻もパートの仕事が充実し・・私の障害厚生年金と労災年金もあって経済的不安は無くなりました。私も後遺障害を受け入れ1日1日を、どれだけ穏やかに暮らすか・・仕事から離れたことで、これまでの人生を振り返る時間をたくさん持てたことは宝の時間と感じています。人生は1冊の問題集・・そんな一行をネットで見ました。人生、無駄なことは1つもない・・漸く、その意味を理解できるようになったような気がします。人生を振り返り時々、心がチクチク。。時にはギュゥっと痛くなったり。反省や後悔・・最近、義母の認知症が判明しました。これも私達家族にとって、きっと魂の成長になっていく。そんな気がしてなりません。キッカケは娘たち二人の気づきで早期発見できたのです。私は認知症の義母が余生を穏やかに少しでも長く『自分』を認識できる時間を多く持ってもらいたい・・そして義母には、いつまでも笑顔で暮らしてほしい。そんな思いで今、動いています。今はリバスタッチという認知症の進行を遅らせる貼付薬が良く効いているようで以前のシッカリ者の義母が復活しました。今の私に出来ること・・それを精いっぱいして人が気持ちよくいてくれるような言葉、立ち居振る舞いを心掛け生きていこう・・そう思う今日この頃です。
お金ほど人の心を映し出すものはない・・24年間、お金を貸す仕事に携わり今、あらためて痛感することです。特に支店を任されていた27歳~38歳・・本当にいろいろな方を見ることができました。お金に対する考え方も人それぞれ。また私が、どこに勤めているか答えると突然、眉をひそめる人や見下す人・・反対に理解を示すひと・・何よりも辛いのはテレビで報道されるイメージだけで人格まで否定してくる人・・人間観察するに勤務先の会社名を名乗る方が、こちらとしてもわかりやすく人付き合いが出来るようになりました。しかし・・・消費者金融会社にも与信といって融資の審査では勤務先や持ち家か否か収入・・住所や家族構成まで申込書に記載をお客様にして頂きます。その時・・私達もお客様の属性を色眼鏡で見て時には偏見や差別を持った言葉を平気に口に出す社員や店長も少なくありません。私も・・決して例外ではありません。人は常にだれかと比較して少しでも優位性を持ちたくなるようにできているのかも知れません。もちろん、差別や偏見wp持たない人も多くおられると思います。そんな中でも消費者金融に勤めていた私が思うのは『サラ金』という露骨な言葉で表現してくる人のなんと多かったことか・・私が勤務していた大手消費者金融は比較的、温かく経営陣は社員と、その家族に思いやりある会社でした。年末には家族ボーナスと言って既婚者には奥様、独身者にはご両親に直接、現金封筒でお金が届いていたのです。会社の業績が低迷したときは海老が届いていました。また社員の誕生日には誕生日休暇として堂々と有給休暇を取得できる空気もありました。支店によってですが社員の誕生日に店長が自腹でケーキを買って祝っている支店も・・昭和59年・・業界は冬の時代に突入したころ・・私は債権回収部門で仕事をしていましたが残業は月30時間までと決められ毎週の残業デイが週に2日~3日。あとはノー残業デイが当たり前でした。昨今、長時間労働で鬱になったり最悪は命さえも・・平成のご時世でも労働環境が悪いブラック企業が問題化されていますがレ●クでは30年も前から【社員の安全と健康を守る】を実行していた会社であったと思います。それにレ●クは当時の創業社長の思いから社員教育には本当にチカラを入れていました。これも社員を通じお客様に少しでも喜んで頂ける思い・・社員の知識や専門性だけでなく社会人としてのモラル・・その思いで三重県に研修センターを建築され7知育・徳育・体育を自然に学ばされたと思います。教育の大切さ、その費用も膨大にかけていたように思います。消費者金融に限らず会社独自で研修センターがある企業は、そんなに多くありません。その教育カリキュラムも本当に細部まで組まれ毎年、階層別に行われていました。もちろん・・誤解のないように願いたいのは、いわゆる軍隊形式ではありません。消費者金融業界でも、本当に至って正統派であり温かさのある会社でした。
サラ金・・これって差別用語のように感じたのは私だけではないと思っています。レ●クに借り入れに来られるお客様・・借りるときから偉そうま人もいれば平身低頭な人も様々ですが、借りる時は、とにかくお願いします・・とか紳士な人でも情報照会して多債務が理由で融資を断った瞬間に表情を変えたり態度も横柄になるだけでなく『お前ら、しょせんサラ金やんけ!誰が借りたるか!!』と捨て台詞を言う時もありました。私は」、ただただ茫然となって、その、お客様を見送ったこともあります。お金で人の心が見えてしまったことも数多くありますし、お金の使い方で、その人なり・・が見えることもあります。心のレベルが高くない間の人って、お金や物で左右される事が多いのかな?決して、私も偉そうに言えた義理ではありませんが脳出血で倒れ仕事を失い、人とのつながりも失い・・でも病気のおかげで少しわかったことがありますし今も勉強中であることもわかりかけてきました。サラ金・・この響きは良くありません。負の波動が言葉とともに出るワードになっています。私が現在の妻と結婚を決めたとき、妻の兄が大反対しました。『そんな、ヤクザみたいな仕事してるやつ、ロクなもんとちゃう!』テレビや新聞で報道されているサラ金イメージ=悪の方程式。まだ私と会っていない義兄は私の人格まで否定する始末だったようで・・でも妻の両親は『借りてるわけちゃうやろ?それに大きな会社や。全部が全部そうでない!』もうこの世を他界してますが妻のお父さんは偏見を持たない方でした。その後、ご両親は私と会ってくださいましたし妻と結婚後も大変、私の事を大事に思ってくれてました。義兄は、その後2年間、私達とは行き来もなく怒っていました。当然、私達の結婚式にも出席してくれてません。義兄に限らず、仕事で人を差別する人・・たくさんにることがわかりました。昭和から平成に代わり大手消費者金融も株式市場にまで上場し、銀行系列になり昔のイメージから少しづつクリーンなイメージへと変化してきています。スマホからキャッシングの時代になりましたが、お金を貸す・・借りることって本当に人と人が直接、お互いに顔を見て・・言葉(雑談等)を交わしながら行うことが原点のはずなのに・・人の属性(職業や資産)だけでいいのかな?私が勤務していた支店窓口での人の表面的なことだけでなく人の奥深さを勉強できる、本当に良い修行になったような気がします。多くのお客様と言葉を交わし・・そして融資したことで感謝してくださるかた・・テレビではサラ金の良いところは全く報道してくれません。感謝の手紙が支店や本社に何通も届いていた事実もあるのです。どんな業界・会社でもトップの考え方・理念さえしっかりしていればわかってくれる人はわかってくれる。信頼を失うのは一瞬。取り返すのは長い年月がかかります。また木を見て森を見る・・業界で1つの会社が不祥事をすると業界全体が同じにみられる・・それは健全にやっている会社や、そこの従業員にあいてみれば辛いことです。でも消費者である自分自身の見る目を、しっかり養えばいくらメディアで報道されても動じない自信があるはずです。差別や偏見はイメージや噂に左右されることが少なくありません。消費者金融業界は確かに誤解されやすい業界です、まともな会社もあったと・・私は思っています。
24年間 世間では【サラ金】と言われる業界に身を投じた私でした。その給与の高さ、学歴に関係なく昇進できる。なぜ?学歴不問で?と?レ●クの創業者は高卒だったからです。最初は、そんな単純な動機でしたが、イザ入社すると業界に対する偏見が本当にキツイ事をしったのです。昭和58年当時・・消費者金融というだけでクレジットカードが作成できませんでした。普通に銀行に置いてある申込書・・JCBとかVISAとか・・だから社員は他のコネを使ったり本社の財務部を経由したり・・中学時代の友達の結婚式に出席した時にも同級生から『お前・・サラ金に行ってんて?』その時の言葉を発した表情は人を見下す目、そのものでした。親戚の叔母から直接、妹である私の母に『そんな会社辞めさせな!!』と電話が入ることも。でも私の両親は『自分で選んだんやから納得してるんやし辞めようが続けようが自由にしたらええ。』と言ってくれてました。業種・職種に限らず人間、どこかで偏見や差別があるものだと自分に言い聞かせ24年間頑張ってきました。その24年間で気づかなかったことが脳出血とういう病気を患い今となって・・漸くわかったことがあるのです。人は容姿や職業、出身地などで判断するものでない本当の意味・・偏見や差別する心を持った瞬間、自分の心を曇らせていって・・やがて心の目が盲目になってしまう。私は消費者金融に勤めていた頃、人から、どんな仕事?なんて言う会社に行ってるん?と聞かれるのが嫌でした。
24年間 世間では【サラ金】と言われる業界に身を投じた私でした。その給与の高さ、学歴に関係なく昇進できる。なぜ?学歴不問で?と?レ●クの創業者は高卒だったからです。最初は、そんな単純な動機でしたが、イザ入社すると業界に対する偏見が本当にキツイ事をしったのです。昭和58年当時・・消費者金融というだけでクレジットカードが作成できませんでした。普通に銀行に置いてある申込書・・JCBとかVISAとか・・だから社員は他のコネを使ったり本社の財務部を経由したり・・中学時代の友達の結婚式に出席した時にも同級生から『お前・・サラ金に行ってんて?』その時の言葉を発した表情は人を見下す目、そのものでした。親戚の叔母から直接、妹である私の母に『そんな会社辞めさせな!!』と電話が入ることも。でも私の両親は『自分で選んだんやから納得してるんやし辞めようが続けようが自由にしたらええ。』と言ってくれてました。業種・職種に限らず人間、どこかで偏見や差別があるものだと自分に言い聞かせ24年間頑張ってきました。その24年間で気づかなかったことが脳出血とういう病気を患い今となって・・漸くわかったことがあるのです。人は容姿や職業、出身地などで判断するものでない本当の意味・・偏見や差別する心を持った瞬間、自分の心を曇らせていって・・やがて心の目が盲目になってしまう。私は消費者金融に勤めていた頃、人から、どんな仕事?なんて言う会社に行ってるん?と聞かれるのが嫌でした。