昭和58年に消費者金融会社に入社して業界の急成長の波に乗れたおかげて26歳で支店長になれました。その後、何度か冬の時代を業界自体が迎え中には倒産した消費者金融会社も数社あったなかで会社は危機を乗り越えつつも社員をリストラすることほありませんでした。時代は店頭窓口から無人店舗を展開するころ私は38歳でエリアマネージャーに昇進し北海道南部、函館、苫小牧、室蘭、小樽、道央の岩見沢の各支店を統括することに。この頃、外資へ会社は営業権を譲渡したのです。当時の新聞の一面を飾りました。外資の効率化は凄まじいばかりでなく、その合理主義と日本的な組織風土とは全く180度の違いから多くの社員が会社を去って行ったのです。外資になり大きな渦が一旦は治りを見せた、その後、私は異動となり兵庫県三宮を中心に数店舗を統括。このへんで組織は落ち着いたのかな?と思いき組織は更に再編され、それまであった支社が消滅。エリアの統括範囲が広がり私は北陸、京都、大阪の一部と兵庫を担当となったのです。支店窓口は統廃合がすすみ塚口、伊丹、西宮、元町など無人化となりました。北陸も支店窓口は富山駅前、金沢駅前、福井駅前の3店舗。平成初頭は七尾や小松、高岡など北陸にも支店窓口はあったのです。営業部門と回収部門が、それぞれ分担化され回収の初期遅れへの督促はオペレーターが集中センターで、ひたすら電話。無人機の対応も集中センターで操作し時間と人的合理化が一挙に進んだのです。ここまでならまだ、大丈夫でしたが、やはり最高裁判決後の利息制限法の上限を超える金利、過払い請求が業界を大きな涙で呑み込んで行ったのです。年々、増加する過払い返還の金額が会社の収益を圧迫。当然、そこは外資。更に支店窓口の無人化と人員整理を始めたのが平成18年、私の親しい同僚や、元上司なども会社を去って行きました。そして翌年、会社は更に大鉈を振りかざしてきたのです。私も、その、大鉈で身体を切られました。本社から呼び出しを受け面談に赴くと、もう、貴方には後はないという表現でしかなく就職支援会社を紹介され退職金を貰い会社を去りました。47歳のときです。それまでの人生、勿論、数多くの挫折を味わいましたが、この時ばかりは最悪の挫折感であったのは言うまでもありません。まだ中学生と小学生の娘たちにも、お父さんは会社を辞めると言ったときは大泣きされました。妻は唇を噛み締め『大丈夫、私、支えていくから!』と言いながらも目には涙が浮かんでいたのは今でも覚えています。私は家族を守るため就職支援会社へ通いハローワークにも通いました。幸いにも退職後、2ヶ月で就職先が決まったのですが、出直しとは本当に辛く何よりも自分自身との闘いでした。
今月、第三回口頭弁論・・残業代請求事件を終えた直後、担当弁護士から会社の顧問弁護士に現在ある有給休暇の消化を依頼して頂きましたが、数日後、担当弁護士より『Yさん、相手方弁護士より会社への復職を希望しているのか?それとも退職するのか聞いてきましたが、どう考えていますか?』私は復職の意思はなく以前、担当弁護士及び事務所の代表弁護士から在籍する方が裁判上、良いとアドバイスがあったのですが、それも1年以上も前のこと。『私は復職意思があったとしても身体的にも精神的にも就労不可能ですし・・』と答えました。労災障害等級も1級3号となり就労100%不可能との認定も受けています。『そうですよね・・証拠関連も全て取り揃えていますし、では、その意思御表示を相手方弁護士へと伝えます。有給については後日、ご連絡いたしますので・・』残業代請求訴訟は、ほんのジャブを相手に打った程度。今後は残業代請求訴訟を通じて会社の本性を見ながらクロスカウンターパンチをくりだす準備・・そう・・損害賠償請求をおこすのですが『Yさん、相手方弁護士から労災障害等級を聞かれましたので答えています。』1級は一番、重い障害であるため賠償額も高く、相手方弁護士も会社と打ち合わせを行うことでしょうが、おそらく予想以上の障害等級であることは言うまでもなく金銭に細かい代表者ですから今頃は・・会社を訴えている私に恨みツラミに悪口雑言を言っていることが目に浮かびます。私の目的は職場環境の改善・社員の処遇改善があります。確かに経済的理由が無いと言えば嘘になるでしょう・・私は認知症の義母の介護費用や施設入所費用・・そして終末まで見ていこうと思っています。今でも労災・障害厚生年金等で十分に生活はやっていけます・・お金のための裁判と思われる方もおられると思います。でも・・私の健康な身体は何億何十億支払っても元には戻らないのです。車の運転も出来なくなり旅行に行こうにも大浴場の温泉に入ることも出来ません。大好きな蟹の身すら、ほぐすことも出来ません。味覚障害や多少の嚥下障害もあって食べる楽しみも極めて少なくなりました。精神障害もあり脳出血で倒れた時のトラウマが強く、感情が高揚すると首筋から後頭部にかけて血が上る、あの嫌な感覚が走るのです。その瞬間・・【死】の恐怖がよみがえり心臓の鼓動が激しくなり指先から血の気が引いていく・・あの感覚は私にしかわかりません。本音はお金はいりません。身体と精神を返してほしい・・私が倒れたことで妻や娘たちが、どれだけ大きな影響を受けたのか・・お金の無力も知り、また、お金のチカラも知った2年半でもあります。私が退職してから少しでも環境が良くなり二度と私や私の家族と同じ思いをする社員が出ないこと・・そして世間の労働者が希望を持って働ける環境になるために一石を投じることが出来ればと思います。今月、大手居酒屋チェーンで過労死となった娘さんの御両親の裁判が実質勝訴と判断できる和解を得たことは今後の日本における労働問題をより良い方向へと導くような気がしてなりません。未だ結果の出ていない大手家電量販店社員の過労死裁判や大手靴販売チェーン店・・ファミリーレストラン。。従業員の過重労働問題が後を絶ちません。仕事は収入を得ることは基本の基本ですが人が仕事を通じて人間的成長をしていかねばなりません。知識や社会人としての常識を身につけるだけでなく多種多様な人間とのつながりを通じ【徳】というものを積んでいくことで心の成長が真の目的ではないかと・・そう思い始めた今日このごろです。
昨日、長女からLINEが来て『お父さん、家に居るん?』私は”そうやで”と返すと『今からココア連れていく!』と言うので了解しました。ココアというのは長女に飼い犬でトイプードル。生後7か月で未だ体重が1.2キロしかありません。ペットショップで購入したときは500gと小さな子。親も2.5キロしかなく、おそらくココアは、そんなに大きくならないと思います。午後3時頃・・長女は愛車Nボックスでやってきました。ココアも歓迎すると我が家にもトイプードルのショコラ(女の子)がいて途端に賑やかとなったのです。とにかく長女のココアは人懐こく元気。気の弱いショコラがタジタジです。妻はパートで不在のため夕方まで長女と、たくさん話をしました。特に・・今、おつきあいしている彼氏の話題が大半ですが・・彼氏は京都の大学生で来年3月卒業ですが未だ・・就職先が決まらず・・京都で一番の進学校のR高校からスポーツ推薦で現在の大学へ進学。もともとR高校もスポーツ推薦だそうで、おつむの偏差値は長女と大差ないと娘は言っておりますが・・。そんな彼氏の話をとにかく、のろけばかり・・『お父さん、晩御飯、一緒に食べに行こうよ♪』時計を見ると17:30・・少し早いですが長女のクルマでイオンモールのレストラン街に行ってきました。和食のお店で煮魚や天ぷらの定食どころ。長女は金目鯛の煮つけ定食を注文。私は長女の拒食症以来、白米・・普通にお茶碗によそった白いご飯を口にするところは見た事がありませんでした。丁度1年前、長女と道頓堀のかに道楽で少しだけ雑炊を食べていたのを見たくらいです。注文された定食がテーブルに届き二人で箸をすすめていると『お父さん、ウチの御飯少し取ってくれる?』あ~あ・・やっぱり御飯は食べないのか・・と心の中で意気消沈していると・・な・・なんとお茶碗に残っている半分ほどの御飯を長女は食べているのです。(え??ホンマかいな)私は歓喜しました。もう何も言わず何事もないように私も黙って自分の前にある天ぷらに箸を伸ばしました。(嬉しい♪)思い起こせば長女が高校2年の春・・ダイエット?高校での人間関係?私達夫婦?原因はわかりませんが御飯を食べなくなり壮絶な拒食症との闘いが始まり・・我が家を飛び出し義母宅に行った長女は義母への暴力と暴言・・義母のおかげで長女の拒食症は少しづつ回復・・大学へ進学するころは身体も元に戻り始めたものの食へのこだわりは・・暫く続いていたのです。その長女が昨日・・白いご飯を食べ『お父さん、ここの味噌汁、ムッチャおいしいやん!』笑顔で言う長女・・本当にこころの底から嬉しく思えた今日このごろです。
人間は死んだら終わり。そう考えている人は多くおられます。どうせ人生1回こっきり。好きな事をするんだ!これで本当にいいのでしょうか。自分の労働で得たお金なら、まだいいですが他人をだましたり蹴落としたり利用してまで自分の利益を優先して贅沢をし地位を得たり・・セックスも快楽だけを得るために行う・・男は何人と寝たかを自慢し、女は友人の彼氏でも平気で奪う・・度合は人それぞれ・・でも人間って”金・名誉・セックス”この3大欲望をどうコントロールしていくかが、この世での修行の根っこたるとこかも知れないのでは?あとは反省と感謝をどれだけ思えるか・・自己中心・利己主義に走ると例えば癌になったりなんかすると『なんで俺が・・』と思うこともあるでしょう。でも世の中、癌患者はいたるところにいるのです。なんで俺が??自分ひとりが不幸であるかのように思っていると感謝や反省は生まれないのではないか??健康であったことが当たり前と思うから。健康に感謝していれば癌になったとき違った考えがおこっていたかも知れません。ある人が言ってます。『人は自分のことだけを考えれば考えるほど苦しくなる。』魂のステージを上げる事はカルマの解消になると言ってますが、魂のステージを上げることは反省と感謝、そして欲望をどうコントロールしていくか?ではないかと最近、思います。人はお金と地位が器以上に得てしまうとモンスターに変身してしまって人の心がずっと、ずっと奥にしまわれ獣の心が表面化するのかな??人間の脳も大脳新皮質は進化してからですが、ずっと奥には獣の本能がある部分があります。出世のために争ったり、お金を得るためなら強盗や殺人・・セックスしたいと思ったら強姦は獣になった人間そのもの。自己中心の極み。でも生活は身の丈に合わし、庶民的な御飯を食し出世でなく社会や人のために働きセックスも愛している人とだけ行う。そして利他愛を考え行動するには欲望との闘いに勝つしかありません。人生80年の時代です。昨今、下級老人という言葉を耳にしますが・・人生の終末は、それまでの生きざまではないでしょうか?ニュースでは下級老人を弱者、時代の被害者のように報道していますが若いころ生活の結果・・であって厳しい言い方ですが大半の方々は自業自得ではないか?と思っています。義母は認知症を発症しましたが・・若いころより昼夜、働き大工である義父は会社員のような社会保障はありません。義父が脳梗塞で倒れ更に苦しい状況にあった義母は働いて働いて住宅ローンを完済しました。現在は月額6万円の年金収入だけですが、これまで子供たちに頼らず自活しており介護サービスも受けテレビで報道しているような悲惨な老人ではありません。今でも孫にこずかいを与えるこどです。私は、そんな義母を見てきた妻の話を聞いていると下級老人・・・生活保護以下の生活と書籍も出ていて反響もあるようですが、下級老人の多くは若いころ自身の欲望のコントロールの甘さから出た結果ではないかと・・そら?全ての下級老人とは言いません。でも消費者金融と不動産賃貸で家賃管理等してきて私自身も多くの方々と接してきましたが人間、誠実に生きなければいけない。当たり前を当たり前に思うのではなく感謝する心を失ってはいけないと、つくづく思う今日このごろです。
世間では消費者金融会社といえば【サラ金】と言われ悪いイメージがありますが私が在籍していたレ●クでは社員の教育に力を注いでました。三重県には研修センターを建築し一般社員から支店長、マネージャーまで階層別に行い内部では教育部もあり各支社ごとでも研修や勉強会は頻繁に行われることは勿論、外部講師を招き多種多様な研修も導入されていました。また毎年、通信教育も各社員が進んで取り組む人も多く、キチンと終了すると翌年には記念品と通信教育の費用が半額で受講できる仕組みもありました。また支店長は銀行業務検定試験の受験を義務付け法務・税務・財務の各4級の取得もノルマとなっていました。金融ビジネスにおいて4級は基本的な知識ですね。特に税務・財務は無いより知識としては有していた方がいいと思います。何より勉強することで知識だけでなくいろいろな面で自身の啓発になりました。また自身の精神的な成長と相手や周囲との心の距離を考えさせられることや、また管理職としての部下育成やマーケティング・・本当に多くのことを学ばせて頂きました。業界で、これほど教育に熱心な会社はないのではないか??とも思います。お客様一人ひとりに担当制度を導入し社内でのカウンセラー制度やインストラクター制度、クオリティサークルなど・・数え上げればキリがありません。これは余談ですが会社の業績が良かった年の年度末には家族ボーナスも支給されていたのですよ。既婚者は奥様へ、独身者は御両親へ3万円から多いときは7万円・・業績が??の年度は海老が贈られてきました。そこには会社から家族への感謝の手紙が必ず添えられていました。こんな会社であったからこそ20年以上も勤続できたのかなぁ~と今となっては思えるのです。でも・・それも外資に買収されてからは空気が一変!辞めていく社員も多くなり支社長クラスでも会社を去っていく人が少なくありませんでした。思い起こせば・・外資に買収されるまで・・本当に温かい会社だったと。多くのことを学び、その糧となったことは私の財産の1つでもあります。私が今の妻と結婚を決めた時、まだ会ったこともない私の職業を聞いた義兄は『サラ金やんけ!そんなヤクザみたいな仕事してる奴にロクなモンがおるか!!』と大反対を受けました。私も、想定していたことは言え、結局、結婚後2年間 義兄夫婦とは疎遠となっていたのです。心の中で複雑な思いを感じつつも・・3年目 妻の両親の計らいもあって義兄夫婦と少しですがつながりは出来たものの長女の大学入学の年から年賀状が来なくなりました。そして今、義兄は自身の母が認知症であることを知りながら無関心・・今年の夏、そのことで義兄と妻が電話ですごくもめました・・妻は携帯をスピーカーにして会話していたので義兄の物の言い方・・そして義兄の娘の暴言に悪態・・を私も耳にしていたのです。義兄も言いたい放題・・電話を切ったあと妻が『お父さんが消費者金融、辞めて脳出血で倒れてから・・こんな口の利き方になってんねん・・アニキは最近まで消費者金融にいてた、御父さんにビビッテてんで。辞めて病気になって、こんな強気でモノ言うてるねん!!ホンマ、ちっちゃい!』私は複雑でした・・また義兄に憤りを覚えたのも事実です。でも時間の経過とともに怒りから哀れみに変化していきました。消費者金融に勤務していたことで見えずらい出来事や環境が私は見たり触れたり・・友人や知人・・妻もパート先で『サラ金やん!』言われたことが何度あったことか・・人の偏見・差別・・これは、いつの時代もあるかも知れません。レ●クはサラ金であることは事実ですが社員教育することで、お客様を通じイメージ向上に力を注いでいたのも事実です。どんな仕事でも働く人の働き方で、いつ偏見の渦中にたたされるかわかりません。大切なことは、どんな仕事でも利他愛をもって取り組めば必ず見ている人は見ているものだと・・そう思う今日このごろです。