脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

今は亡き両親への思い1

2015年12月15日 10時10分47秒 | わが半生
義母の認知症に関わりを深めていくにしたがって、他界した両親のことを思い出すようになりました。私は貧乏な家庭に生まれましたが貧乏には感動がありました。え?貧乏に感動なんかする?そう・・私も、つい最近までは、そう思っていましたが幼いころ・・昭和30年代後半から大阪万博が開催される頃は日本という国自体が貧乏でしたが、その中でも私の両親は貧乏の貧乏・・幼稚園の頃、昼はみんな、お母さんの手作り弁当を持ってきてわいわい言いながら開けるのです。私は、いつも新聞紙にくるまった弁当箱でした。何気なく隣に座っていた女の子の弁当を横目でチラリ👀と見ると赤いウインナーがタコさんの形になっていたのです。『これ?なに?』女の子に聞いたら『ウインナーって言うねん。タコさん、かわいいでしょ?』と返してくる、その子に『ふ~ん、ウインナーっていうんや・・』私は、ソーセージ(魚肉)しか知りませんでした。とにかく赤いウインナーに感動していたのです。すると『1ッこ、あげる!』その子が私にウインナーをくれたのです。『おいしいぃ~♪』思わず声を出していました。その間隙を家に帰って、母に言うと『そう。よかったね♪でもウインナー・・買ってあげることはできないの。』私はショックでした。そんな思い出・・ウインナーに限らず、普通の家庭では普通にあるものがウチにはないので友達の家に行くたび感激していたのです。まずは食べ物からでしたね。私は家が貧乏であるということ自体、理解していませんでした・・こんなもん?だと思ってウチはウチなりに普通としか思っていなかったのです。御飯も、ふりかけに卵焼きだけ・・味噌汁と御飯だけ・・鮭の切り身が1切れだけと御飯のときも・・鮭は塩ジャケ1切れで何杯もおかわりできたのを覚えています。母は、どちらかと言えば料理は苦手でしたが、『塩むすび』は何故か美味しく・・何とも言えない御飯の、にぎり具合と塩加減が最高でした。友達のお母さんの、おむすび・・それなりにおいしいのですが何かが違うのです。それと母は良く諺を言って聞かせてくれました。意味は説明しません・・その時の私の感情や周囲の状況に合わせて言うのです・・【苦労は買ってでもせよ】【長い物には巻かれろ】【人の噂も●●日】(日数は忘れました)【損してトク取れ】・・今となっても時々、蘇るのです。母は、いつも私の味方でした。どんな時も・・たとえ私が悪くてもです。その母が癌でなくなる時・・私は北海道から関西に向かう飛行機の最中に息をひきとりました・・親の看取りが出来なかった親不孝者です。今、50歳を過ぎ脳出血を患い不自由な思いをして・・やっと親の愛を知ることが出来ました。母の温かさ・・温もりを今、漸く感じる今日このごろです。
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