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しあわせになるために・・ ~特別養子縁組~

’10年6月に我が子となるマルチャンを迎え11年5月に戸籍上も我が家の『長男』となりました。そんなこんなの親バカ日記です

母達の気持ち

2010-01-07 04:48:34 | 養子里親
悩み、凹むことが多かった昨年の2009年。

しかし、2010年ようやく里親を始める決意をして
子どもも
「この子!」と決め、
あとはいつ会えるかドキドキワクワクな気持ちでいる私ですが、
お互いの母親たちの反応は微妙なもので・・・。

お正月は夫の実家に帰省しました。

里親をするということは昨年の9月に話をしていたので
了承してもらえていたのですが
義母が
「うちの孫になるんだから(子どもの)事情を教えてちょうだいね。」
と言われていたのです。

夫は
「そんなもん、事情があるからこういう境遇になっているんであって
最初から馬鹿正直に言わんわ!」
と言っていて
全ては話さないつもりでいたのですが
そのウソの話の展開が子どもにとって印象の悪い話になっていってしまったので
結局あとで正直に話をすることにしました。

その時は義父がいなかったので義母にだけ話をしましたが
反応は微妙でした・・・。

無理もないことだと思います。

どう反応していいか戸惑うのも当然かと・・。

いきなり写真だけ見せられて
「この子が孫になる子だよ」と言われても
はい、そうですか。・・・とはいかないですよね。

「難しい問題だけど、がんばってね」
という義母からの言葉を頂けたのでよかったのですが・・・。

お正月は夫の実家の帰省で
自分の実家(新潟)に帰らなくて年始の挨拶もまだだったので
今日ようやく年始の挨拶がてら実家に電話をしてみました。

他愛ない話をして、話題は里親のはなしへ・・・

年賀状で親戚のみなさんに
「(まだ決まりじゃなけど)今年養子を引き取って育てていこうと思っています」
・・というようなことを書いて出したのです。

隠しておくことではないし、
自分自身の決意表明!と思って書きました。

しかし、母は【私が】里親をすることをあまりよく思っていません。
(夫に対しては人間的な評価が高いので何も言うことなしなのですが。。)

秋に里親の話をしに行った時も言い争いになりました。

「お前なんかが子育てできんのか」・・と。

そりゃあ、私だって自信満々で子育てに臨むわけじゃありません。
不安でいっぱいです。

お互いの親も遠くに住んでいるし
近くに頼れる人もいません。

夫の仕事は激務で毎日帰宅も遅いので
平日はほぼ母子家庭状態となるでしょう。

そういうことも含めて心配で言うのでしょうが
「決してこっちに泣きごとは言ってくるんじゃないよ!」だとか
「子育てって大変なんだ」「気に食わなくなって投げ出すな」とか
私が最初から育児放棄をする前提でものを言ってくるのです。

何を言われても動じちゃいけない・・と思ってても
腸が煮えくり返る思いでした。

里親の話をしに行ったときからそうでしたが
母は里親になるなら
「『絶対』女の子にせぇ」と言ってきかないのです。

その理由は
「女の子は親の面倒をよくみてくれるし、
やっぱり頼りになるのは女の子だ」
という主張でした。


母は男も女も両方育ててきてそう思ったのでしょうが
まぁ、確かに男なんて大きくなってから力も強くなって
暴力も奮うようになるし、愛想は悪くなるし
手伝いもせぇへんし、親と口利かなくなるしで
寂しいこともあったのでしょうが
私から言わせてもらうと母が一番かわいがっていたのは
なんだかんだいって弟でしたからね・・。
両親で教育にも力を入れたりして溺愛してましたよ。。。

歳の離れた「待望の男児」として生まれたもんだから
そりゃあチヤホヤされてましたよ。(←中間子次女のヒガミ( ̄▽ ̄;))
・・・その「待望の長男」も
結局、県外に就職・所帯を持ち
もう実家には戻ることはないと思いますが・・


母曰く:
「女の子だったらカワイイ服も着せられるし
一緒に買い物とか行って友達みたいにできるよ
・・って。( ̄▽ ̄;)

「一緒にいる時間が長いんだからよく考えてみれ!」
と言われて

それもそうだなぁ・・と思ったこともあったけど
そもそも子どもに面倒を見てもらうために養子を迎えようなんて
思わないし
私、母からカワイイ服なんて買ってもらったことないし
いつも姉のお下がりか、母が買ってきた安物のダサい服で
母と買い物に行った記憶もあんまりないんですけどね・・。
(特に忘れられないのは母がある人のプリントTシャツを買ってきたことだ・・
当時人気だった「たのきんトリオ」の・・・
トシちゃんでもなく、マッチでもなく、、
よりによって【ヨッちゃん】を買って来たのです
あの時のショックは今でも忘れられません
姉と一緒に号泣し、
「なんでヨッちゃんなんか買ってきたん」と抗議しましたが

「ヨッちゃんしか売ってねかったんだよ」と母に逆ギレされてしまいました

・・・そこまで拒否されるヨッちゃんて。。。

まぁ、ヨッちゃんの思い出話は置いといて、、)


自分が人間としての記憶にあるのは(笑)母と二人きりでスーパーに買い物に行ったことが1度あり、(“三和”というスーパーでした)
その時に母が財布の中にお金を入れて来るのを忘れたらしく
支払いの時にお金が足りなくて
レジの前で
「これとこれとこれ・・やめます」と言って
商品を返していて
子どもながらに不憫に思った記憶が鮮明に残っているだけで。。。

買い物などは姉や友達と行ったりしてたので
ほとんど母と二人きりの交流はなかったし
思春期の時は母と大荒れだった(苦笑)

姉も母とは仲は良くないし(むしろ悪い!?)
そう考えてもとてもいい母娘関係とは言えなかったのに
よぅ言うわ・・。

だいたい女同士は親子でも張り合うところがある。

よっぽど相性が良くないと難しいと思うし、
自分がまず
「この子を育てたい
という意思がなければ無理な話で。。。

というより母が育てるんじゃないでしょうが
何言うとんねん

母はいつもそう。

まず私を認めてくれたことがない。

幼少の頃から
「お前はダメな子 お前はダメな子」
と言われて育った。

母は言った覚えがないと言うが
「オメなんか産まねばよかった(訳:お前なんか産まなきゃよかった)
と言われたことがある。

人一倍手のかかる子だったのでとっさに出てしまった言葉なのだと思うけど
大人になった今でもこの言葉はトラウマになっている。
被害妄想なのかもしれないけれど・・。

書いてても涙が出てくる。

今日の電話も母から最後まで
「応援するよ」
という言葉がもらえず悲しかった。

私のことが心配で
里親なんかせんでも・・とか
苦労するよ・・とかいう思いがあっての言葉なのかもしれないけど
そこまで否定的に言われるのはものすごく悔しい。

普通に妊娠して男の子が生まれても非難されたりしないのに
なぜ養子だと非難されたり祝福されないんだろう・・。

私がダメな娘でも普通に妊娠出来てたら
「子育てなんて大変だよ!」とか「やめとけ!」
・・なんて絶対いわれないのに
なぜ養子だと否定されるのか・・。

確かに血のつながりがない他人が親子になることは
周りからすれば理解し難いことなのかもしれない。

でも立派に育てていらっしゃる方はたくさんいるし、
他人同士であった夫と私が家族になれたように
子どもと血がつながっていなくても衣食住を共にしていけば
家族になり「親子」になっていけると思う。

血がつながっていたって心が離ればなれな家族・親子たちも存在する。

そんな「親子」より絆は強いと思う。


里親自体を否定的に見られるのはとても残念に思う。

電話でも散々言われたが
「頼むから泣きごとだけは言ってこないでくれよな」
と言われた。

泣きごとは言ってはいけないの?

弱音は吐いちゃいけないの?

母が言う
「いい子」って何?

「悪い子」って何?

私は確かに学もないし、
何をやってもどんくさい。
不器用だから完璧な子育てなんて出来ないけれど
子どもがもし人の道を外すようなことがあったとしても
決して見放したりはしないよ。

父と母が私に味方してくれたみたいに
どんなことがあっても子どもの味方でありたいと思う。

父が唯一
「いい子が授かるといいね」
と言ってくれたことが涙が出るほどうれしかった。


「授かる」
という言葉を使ってくれたことに感激した。

父は母のように養子に偏見は持っておらず
ちゃんと話を聞いてくれて応援してくれているので
それだけが救いだ。
(父だけは聞く耳があるので
夫が父にお願いをして
母との仲を取り持って(?)もらうように上手く話をつけてくれたらしい。)
我が男親、実に頼もしいものだ



こんな風に書いていると母がまるで鬼母のようだけど
「おまえはダメな子」だとか
「おまえは橋の下から拾ってきた子なんだ」とか(←冗談でこれ言われる人結構いますよね
言われても
私をここまで育ててくれた。

愛情のかけ方が時代のせいもあってか
ちょっと下手だったのかもしれないけど
苦労した母の背中を私たちもずーっと見てきているから
育ててもらって本当に感謝しています。

私も同じように
・・というかそれ以上に愛情かけて子どもを育てていきたいと思います。

くっそ~~
いつか見返してやる~~

ますます燃えてキターーーー



この日は悔しくてずっと泣き通しだった。

夫も帰宅しなかったので悶々としながらとうとう徹夜をしてしまいました・・・。
気が付いたらあっという間に夜が明けていました。



コメント (4)
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全部受け止める

2010-01-07 03:57:40 | 養子里親
日取りを決め、二人で協会さんにお話を聞きに行きました。

私はその日、お昼までの勤務だったので職場から直接向かい、
夫は午前中仕事を休んで話を聞いてから出社予定だったので
自宅から向かったのですが、
仕事の電話が長引いて、到着が遅れました。

遅れてきた夫は
「ごめんごめん!」
と言いながらも
「ドキドキするよなぁ・・」と一言。

写真ではあどけない表情の子どもたちですが
その裏には私たちが考えられないような事情を背負っています。

今からその話を聞きに行くのです。

キレイごとではなく、どこまでその事情を受け入れられるか・・。

私はどんな事情であっても受け入れる『覚悟』で行きました。
それは本当のことです。

里親をやるということはそういうことも全部含めてのことだと思うのです。

夫は違いました。

ここでは書けませんが、書けないくらい
衝撃的な事情があったとしたら
「受け入れられないかもしれない」と言いました。

担当の方が言うことをメモする係が私だったのですが
やはり想像していた通り衝撃的な事情を抱えていたので
メモを書いて間もなく涙があふれてきて
字が書けなくなってしまいました。

メモは夫にすぐ代わってもらいました。

事情を書いてもらったのですが、
後のことは胸がいっぱいになり、半分耳に入って来なかったくらいです。

・・かといってその子を受け入れられない、、と思ったら
そんなことは全くなくその間逆でした。

「この子は何としても私が幸せにするんだ」という思いで
いっぱいになりました

ただやはりその子が背負っていくものが本当に辛くて・・

だけど私たちもその子と共に苦しみも悲しみも背負っていけばいい!
それを笑顔に変えていければ・・・

そう思いました。

最近、「運命」という言葉をやたら使ってしまう私ですが
こうして巡り逢えたのも偶然ではないような気がするのです。

Yの時も姉や義妹の子どもと同じ月齢で誕生日も近かった共通点がありましたが
Mくんも姉の下の子と同じ月齢で誕生日も近いのです!

それに姉の上の子と名前も一字違い!

運命を感じます

気持ちだけはもうMくんの母になった気分です。(気が早すぎですが
出逢えたことがうれしくて一日も早く会いたいと思います。

縁組の候補をMくんと決めた次の週に
ようやく児相へ里親登録の書類を提出してきました。

自宅から近い児相は年明けに引っ越しをするようで
里親担当の職員も忙しく、行っても職員が居ないかもしれない・・
・・と言われてたので直接出しに行っても職員さんと話はできないかも??
という話だったので夫に提出してきてもらいました。
(私も休みだったので行こうと思えば行けたけどお留守番していました)

そしたら結局、里親担当の職員さんが在中されていたので
少しお話をしてきたようです。

職員さんに
「運命のお子さんですねおめでとうございます
という言葉をかけてもらったようです。

うれしいですね
私も一緒に行けばよかったな。。。

そんなこんなでようやく一歩が出ました。

でも里親の審議会が2ヶ月に一度あるのですが
年明けの1月には間に合わないようです。

児相から家庭訪問があるのですが、年末は引っ越しも重なり
忙しいので行けないとのこと・・・

なので審議会は3月になってしまう・・ということでした。

仕方ないですね・・。

書類だけでも先に出しておけばよかったですが
そういう気持ちになれなかったので・・。

じっくり「待つ」ことも必要なのかもしれません。

待ってるよ

待っててね

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Mくんとの出逢い

2010-01-07 03:40:57 | 養子里親
そんな最悪な状態だった私たちでしたが、
仲直りした週の「愛の手」に目が止まりました。

当時4ヶ月の男の子Mくんです。

夫も私も
「あ、、この子、、カワイイね!」と自然にスーッと入ってきました。

あれほど悩んでいたのは何だったんでしょう?・・っていうぐらい。

それにこの夫婦関係が穏やかになったタイミングにです

やっぱり「タイミング」ってあるんだなぁと思いました。

夫婦の気持ちが一致したのです。

「じゃあ、この子でお話を聞いてみようか!」
とすぐに決まりました。

夫はその後そこまで思っていたかどうかわかりませんが
私はもう
「この子だ」と思ったので
翌日すぐに協会さんに問い合わせをし、話を聞きに行く日取りを決めさせてもらいました。

あぁ、、。
やっと逢えたね

そんな気持ちでワクワクしてきました。

月日はもうすぐ12月を迎えようとしていました。


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ホルモン剤の副作用との戦い

2010-01-07 03:18:33 | 養子里親
不妊治療を諦めても
私は女性が閉経する歳くらい(50過ぎ?)までホルモン剤を
飲み続けなければならないようです。
(女性ホルモンが欠如することで骨がもろくなりやすかったり、高脂血症になりやすかったり色々あるので・・)

でもここ何年かは副作用がきつく感じ、
毎月服用することは止めていますが
やはり服用する時は副作用に苦しめられます。

生理周期を薬でコントロールするためか、
私の場合、情緒不安定になりやすいのです。

特に高温期となる薬を飲んでる時は本当にどうにかなってしまいます(苦笑)
(薬ですので何かしら体に影響しますよね・・妊娠なぞ出来ないのに皮肉なことに「偽妊娠状態」になりますし・・( ̄д ̄;))

普段なんでもないのに
カーっとなりやすくなったり落ち込みやすくなったり・・


そんな時にやってしまいました・・。


本当に些細なことなのですが1週間ほど夫と口を利かなくなってしまうような
ケンカ・・というか
私も自分をコントロールできなくて爆発してしまったのです。

原因は、包丁の置き方を注意されたことでした。


私にとってどうでもいいことを言われたので
思わずカーっとなってドッカーンてなってしまいました。


夫も
「ちょっと注意しただけなのに
そんなに腹を立たれてはこれから俺は何も言えない・・」と。


薬の副作用なのか、単に自分の性格なのか(^^;)
こういう生理現象(・・と思いたい)を男の人に理解してもらおうと
いうのが間違っているのかもしれませんが、
普段、夫婦喧嘩など滅多にしない私たちがここで夫婦関係が冷めたものに
なっていってしまいました。

こんなタイミングで新聞の「愛の手」をみても
全く心が動きませんでした。

最悪な状態でした・・。

コメント (2)
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「愛の手」を見はじめる

2010-01-07 01:33:45 | 養子里親
里親には・・『いずれ』なりたい・・のかなぁ、、、???
・・・といったように気持ちがいまひとつ固まらないまま
月日は流れて行きました。

その間、里親の話題もだんだん避けているようになり
各々が趣味に没頭しはじめます。

私は習い事でバレエをやっていたり、ギターを始めたり
好きなアーティストのコンサートに行きまくったり
遠征にも行く始末

お互い車で遠出も苦にならないので
あっちこっちに旅行に行き、
夫婦で広島カープファンなので
広島にも何回か行ったりしていました。

私も転職したものの、2年も3年も仕事をしているつもりはありませんでした。

養子を迎える時には事前に乳児院で1ヶ月くらい研修をしなければならないので
仕事に就いても里親を始めるには退職しなければならないので
その時期を気にしながら働いていました。

すぐに辞めるとわかっていながら入社する方もアレですが(^^;)
夫からも転職するのは全く止められてなかったので・・
それどころか
「働いていなさい!」・・でしたからね
専業主婦にはなかなかさせてもらえません。
(自分の食いぶちはジブンで・・←それは私もそう思いますが)

養親講座を受けたあとも、働きながら
「里親を始めるのはいつ・・?」という思いを常に持ちつつ
8ヶ月の月日が流れました。

里親を始めるに当たっていずれにせよ
「里親登録」をしなければ何もはじまりません。

今は具体的に何も決まっていなくても
とりあえず里親登録はしておこう!
とやっと動き始めました。

まず関西版の毎日新聞で毎週日曜日の朝刊に掲載されている
「あなたの愛の手を」という記事に養子縁組を必要としている子どもの写真が
載るのですが、7月くらいから毎週新聞を買いに行きました。
(※関西版の毎日新聞は他の地域からでも日曜の朝刊だけ購入可能です。)

そこで一番最初に見た写真の子どもに「ビビビ」ときたのです!(ビビビて、、古っ)
まだ2カ月の男の赤ちゃんでしたが夫の幼少の頃に似ていたのです。

私も夫も
「かわいいね~」と一致し、気にかけていました。
すぐにでも協会さんに問い合わせを!!
と思ったのですが夫が
「そんなすぐには決まらへんから問い合わせせんでもエエやろ。。」
と一言。

えぇ~?(´3`;)・・と思いながらも
私もこんなに早く即決してもいいものなのか・・と
思ったのでその赤ちゃんはとりあえず保留になってしまいました。

そんなこんなで毎週毎週新聞を買ってきて
子どもの写真を見ているとどの子もかわいくて
選べなくなります・・。

そもそも写真で選ぶってねぇ・・
自分たちは何様だよ・・って思ってくるんです。

でも選ばなければいけない。

将来、子どもが
「僕(わたし)はどうしてこの家に来たの?」
と言われた時に親が

「お前が一番かわいいと思ったんだよ!」
という気持ちを子どもに伝えるために
誰かに決められたのではなく、
私たちがあなたを選びましたと言えるように
・・ということなのですが。

ここでも本当に悩みました。

毎週、新聞の写真を切り取り
その写真がどんどん増えていきます。

子どもたちには悪いけど、
その増えていった写真をテーブルに並べ
「さぁ!この中でビビビと来る子は!!」
という風にやったんですけど
’’ビビビ,,というより、みんな子どもってかわいいものなので
本当に選べないんです。

じゃあせめて何人かピックアップしよう!
ということもしてみましたが、
ビックアップされなかった子たちも出てくるわけです・・。

こんなことをしている時点ですごく罪悪感を感じました。

この時は本当~~~に気が狂いそうになりました。

私は
「こんな選び方なんて絶対絶対出来っこない!!」
「こんなことならいっそのこと、里親なんてやらない方がいいんじゃないの!?」
と言い出す始末・・。

なんやかんやと悩みもがき続けていたので里親登録もしてないまま・・
書類は児童相談所から取り寄せていましたが
書類を全部揃えるのにも時間がかかりました。
(夫の仕事等が忙しく、健康診断に行けなかったりなどなど・・)

とりあえず何人か気になる子を苦渋の選択で2、3人選びまして
協会さんに問い合わせたのが10月過ぎ。

7月に掲載されていた赤ちゃんは・・
もう他のご夫婦に決まったそうです。(や、やっぱりね)

正直ちょっとガッカリして
早めに問い合わせをせずともよい・・と言った夫を恨みましたが(笑)
まぁ、縁がなかったのかな・・とすぐに納得しました。


もうひとり気になっていた子がいましたが
その子も他のご夫婦から問い合わせが来ていたようで
諦めました。

・・諦めたというより
「何がなんでもこの子!」という子が居なかったというのが
正直なところでした。

最初にいいな・・と思った子は縁がなかったので
直接、協会さんに出向いて他に決まっていない子どもさんの写真を
いろいろ見せてもらいに行きました。

写真はアルバムに貼られており、
新聞に再掲載、もしくは再々掲載されている子どもも居て
特別養子縁組の対象の子は、生後~6歳未満なのですが
もうすぐ6歳になる子もいたりして何とも言えない気持ちになりました。

写真に写っている子どもたちはみんな無邪気な笑顔の写真です。

みていると何とも言えない思いになります・・。

「この子たちはず~っとお父さんとお母さんを待っているんだなぁ・・」と。

でも私たちが選べるのはたったひとり・・。

気になる子どもを夫と私に分けて
「◎」、「○」、「△」とリストを書き、
感想を一言づつ書いていったのですが
いいなぁと思う子が分かれました。

私はどちらかというと男の子希望なのですが
夫は男の子でもいいけどどちらかというと女の子が気になるようです。

私たちが7月から購入した新聞には掲載されていなかった2歳過ぎの女の子が気に入り
協会さんに写真をコピーしてもらって持ち帰りました。

私は全くその女の子は目にも止まらなかったし、気になりませんでした。

・・が夫は気にいっているので
私もなんとかその子を気に入ろう気に入ろう!と思いこんだのですが
どうしても自分と生活している図が見えてこなかったのです。

ふたつマゲを結っている髪を手で隠してみたりして
「うん♪こうしたらカワイイかも・・」
と思ってみたり・・。

なぜなのでしょう?
目に行くのは男の子ばかりなのです。

小さくても異性だからお互い異性に魅かれるんでしょうかね。。。

写真もそれぞれピックアップしても
たくさんの写真をみても
結局選べずにまた月日は流れて行きました。

新聞も引き続き毎週日曜日に買いに行っていました。

そしたらなんと夫が気になっていた女の子が
新聞に再掲載されていたのです!!

年齢はちょうど3歳になっており、
2歳の時の頬のぽっちゃりとした幼さはなく、
写真の撮り方(アングル?)などもあったのでしょうが妙に大人っぽくなっていました。

活発で園の先生のお手伝いが出来るとても良い子のようです。

夫は
「・・なんか感じが変ったけど、このタイミングで・・運命を感じるな」と。

そ、、そうだねぇと私も思いましたが
どうしてもその女の子で・・とは思えませんでした。
(ごめんなさい・・)

里親登録の書類もほぼ揃っていて
下書きも済んでおり、あとは清書して児相に提出するだけ・・
という段階になっても子どもが決まらないうちには
なんとなく提出する勇気が出せませんでした。

そのうちまた里親の話からお互い避けるようになっていってしまいました。

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