しあわせになるために・・ ~特別養子縁組~

’10年6月に我が子となるマルチャンを迎え11年5月に戸籍上も我が家の『長男』となりました。そんなこんなの親バカ日記です

Mくんとの出逢い

2010-01-07 03:40:57 | 養子里親
そんな最悪な状態だった私たちでしたが、
仲直りした週の「愛の手」に目が止まりました。

当時4ヶ月の男の子Mくんです。

夫も私も
「あ、、この子、、カワイイね!」と自然にスーッと入ってきました。

あれほど悩んでいたのは何だったんでしょう?・・っていうぐらい。

それにこの夫婦関係が穏やかになったタイミングにです

やっぱり「タイミング」ってあるんだなぁと思いました。

夫婦の気持ちが一致したのです。

「じゃあ、この子でお話を聞いてみようか!」
とすぐに決まりました。

夫はその後そこまで思っていたかどうかわかりませんが
私はもう
「この子だ」と思ったので
翌日すぐに協会さんに問い合わせをし、話を聞きに行く日取りを決めさせてもらいました。

あぁ、、。
やっと逢えたね

そんな気持ちでワクワクしてきました。

月日はもうすぐ12月を迎えようとしていました。


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ホルモン剤の副作用との戦い

2010-01-07 03:18:33 | 養子里親
不妊治療を諦めても
私は女性が閉経する歳くらい(50過ぎ?)までホルモン剤を
飲み続けなければならないようです。
(女性ホルモンが欠如することで骨がもろくなりやすかったり、高脂血症になりやすかったり色々あるので・・)

でもここ何年かは副作用がきつく感じ、
毎月服用することは止めていますが
やはり服用する時は副作用に苦しめられます。

生理周期を薬でコントロールするためか、
私の場合、情緒不安定になりやすいのです。

特に高温期となる薬を飲んでる時は本当にどうにかなってしまいます(苦笑)
(薬ですので何かしら体に影響しますよね・・妊娠なぞ出来ないのに皮肉なことに「偽妊娠状態」になりますし・・( ̄д ̄;))

普段なんでもないのに
カーっとなりやすくなったり落ち込みやすくなったり・・


そんな時にやってしまいました・・。


本当に些細なことなのですが1週間ほど夫と口を利かなくなってしまうような
ケンカ・・というか
私も自分をコントロールできなくて爆発してしまったのです。

原因は、包丁の置き方を注意されたことでした。


私にとってどうでもいいことを言われたので
思わずカーっとなってドッカーンてなってしまいました。


夫も
「ちょっと注意しただけなのに
そんなに腹を立たれてはこれから俺は何も言えない・・」と。


薬の副作用なのか、単に自分の性格なのか(^^;)
こういう生理現象(・・と思いたい)を男の人に理解してもらおうと
いうのが間違っているのかもしれませんが、
普段、夫婦喧嘩など滅多にしない私たちがここで夫婦関係が冷めたものに
なっていってしまいました。

こんなタイミングで新聞の「愛の手」をみても
全く心が動きませんでした。

最悪な状態でした・・。

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「愛の手」を見はじめる

2010-01-07 01:33:45 | 養子里親
里親には・・『いずれ』なりたい・・のかなぁ、、、???
・・・といったように気持ちがいまひとつ固まらないまま
月日は流れて行きました。

その間、里親の話題もだんだん避けているようになり
各々が趣味に没頭しはじめます。

私は習い事でバレエをやっていたり、ギターを始めたり
好きなアーティストのコンサートに行きまくったり
遠征にも行く始末

お互い車で遠出も苦にならないので
あっちこっちに旅行に行き、
夫婦で広島カープファンなので
広島にも何回か行ったりしていました。

私も転職したものの、2年も3年も仕事をしているつもりはありませんでした。

養子を迎える時には事前に乳児院で1ヶ月くらい研修をしなければならないので
仕事に就いても里親を始めるには退職しなければならないので
その時期を気にしながら働いていました。

すぐに辞めるとわかっていながら入社する方もアレですが(^^;)
夫からも転職するのは全く止められてなかったので・・
それどころか
「働いていなさい!」・・でしたからね
専業主婦にはなかなかさせてもらえません。
(自分の食いぶちはジブンで・・←それは私もそう思いますが)

養親講座を受けたあとも、働きながら
「里親を始めるのはいつ・・?」という思いを常に持ちつつ
8ヶ月の月日が流れました。

里親を始めるに当たっていずれにせよ
「里親登録」をしなければ何もはじまりません。

今は具体的に何も決まっていなくても
とりあえず里親登録はしておこう!
とやっと動き始めました。

まず関西版の毎日新聞で毎週日曜日の朝刊に掲載されている
「あなたの愛の手を」という記事に養子縁組を必要としている子どもの写真が
載るのですが、7月くらいから毎週新聞を買いに行きました。
(※関西版の毎日新聞は他の地域からでも日曜の朝刊だけ購入可能です。)

そこで一番最初に見た写真の子どもに「ビビビ」ときたのです!(ビビビて、、古っ)
まだ2カ月の男の赤ちゃんでしたが夫の幼少の頃に似ていたのです。

私も夫も
「かわいいね~」と一致し、気にかけていました。
すぐにでも協会さんに問い合わせを!!
と思ったのですが夫が
「そんなすぐには決まらへんから問い合わせせんでもエエやろ。。」
と一言。

えぇ~?(´3`;)・・と思いながらも
私もこんなに早く即決してもいいものなのか・・と
思ったのでその赤ちゃんはとりあえず保留になってしまいました。

そんなこんなで毎週毎週新聞を買ってきて
子どもの写真を見ているとどの子もかわいくて
選べなくなります・・。

そもそも写真で選ぶってねぇ・・
自分たちは何様だよ・・って思ってくるんです。

でも選ばなければいけない。

将来、子どもが
「僕(わたし)はどうしてこの家に来たの?」
と言われた時に親が

「お前が一番かわいいと思ったんだよ!」
という気持ちを子どもに伝えるために
誰かに決められたのではなく、
私たちがあなたを選びましたと言えるように
・・ということなのですが。

ここでも本当に悩みました。

毎週、新聞の写真を切り取り
その写真がどんどん増えていきます。

子どもたちには悪いけど、
その増えていった写真をテーブルに並べ
「さぁ!この中でビビビと来る子は!!」
という風にやったんですけど
’’ビビビ,,というより、みんな子どもってかわいいものなので
本当に選べないんです。

じゃあせめて何人かピックアップしよう!
ということもしてみましたが、
ビックアップされなかった子たちも出てくるわけです・・。

こんなことをしている時点ですごく罪悪感を感じました。

この時は本当~~~に気が狂いそうになりました。

私は
「こんな選び方なんて絶対絶対出来っこない!!」
「こんなことならいっそのこと、里親なんてやらない方がいいんじゃないの!?」
と言い出す始末・・。

なんやかんやと悩みもがき続けていたので里親登録もしてないまま・・
書類は児童相談所から取り寄せていましたが
書類を全部揃えるのにも時間がかかりました。
(夫の仕事等が忙しく、健康診断に行けなかったりなどなど・・)

とりあえず何人か気になる子を苦渋の選択で2、3人選びまして
協会さんに問い合わせたのが10月過ぎ。

7月に掲載されていた赤ちゃんは・・
もう他のご夫婦に決まったそうです。(や、やっぱりね)

正直ちょっとガッカリして
早めに問い合わせをせずともよい・・と言った夫を恨みましたが(笑)
まぁ、縁がなかったのかな・・とすぐに納得しました。


もうひとり気になっていた子がいましたが
その子も他のご夫婦から問い合わせが来ていたようで
諦めました。

・・諦めたというより
「何がなんでもこの子!」という子が居なかったというのが
正直なところでした。

最初にいいな・・と思った子は縁がなかったので
直接、協会さんに出向いて他に決まっていない子どもさんの写真を
いろいろ見せてもらいに行きました。

写真はアルバムに貼られており、
新聞に再掲載、もしくは再々掲載されている子どもも居て
特別養子縁組の対象の子は、生後~6歳未満なのですが
もうすぐ6歳になる子もいたりして何とも言えない気持ちになりました。

写真に写っている子どもたちはみんな無邪気な笑顔の写真です。

みていると何とも言えない思いになります・・。

「この子たちはず~っとお父さんとお母さんを待っているんだなぁ・・」と。

でも私たちが選べるのはたったひとり・・。

気になる子どもを夫と私に分けて
「◎」、「○」、「△」とリストを書き、
感想を一言づつ書いていったのですが
いいなぁと思う子が分かれました。

私はどちらかというと男の子希望なのですが
夫は男の子でもいいけどどちらかというと女の子が気になるようです。

私たちが7月から購入した新聞には掲載されていなかった2歳過ぎの女の子が気に入り
協会さんに写真をコピーしてもらって持ち帰りました。

私は全くその女の子は目にも止まらなかったし、気になりませんでした。

・・が夫は気にいっているので
私もなんとかその子を気に入ろう気に入ろう!と思いこんだのですが
どうしても自分と生活している図が見えてこなかったのです。

ふたつマゲを結っている髪を手で隠してみたりして
「うん♪こうしたらカワイイかも・・」
と思ってみたり・・。

なぜなのでしょう?
目に行くのは男の子ばかりなのです。

小さくても異性だからお互い異性に魅かれるんでしょうかね。。。

写真もそれぞれピックアップしても
たくさんの写真をみても
結局選べずにまた月日は流れて行きました。

新聞も引き続き毎週日曜日に買いに行っていました。

そしたらなんと夫が気になっていた女の子が
新聞に再掲載されていたのです!!

年齢はちょうど3歳になっており、
2歳の時の頬のぽっちゃりとした幼さはなく、
写真の撮り方(アングル?)などもあったのでしょうが妙に大人っぽくなっていました。

活発で園の先生のお手伝いが出来るとても良い子のようです。

夫は
「・・なんか感じが変ったけど、このタイミングで・・運命を感じるな」と。

そ、、そうだねぇと私も思いましたが
どうしてもその女の子で・・とは思えませんでした。
(ごめんなさい・・)

里親登録の書類もほぼ揃っていて
下書きも済んでおり、あとは清書して児相に提出するだけ・・
という段階になっても子どもが決まらないうちには
なんとなく提出する勇気が出せませんでした。

そのうちまた里親の話からお互い避けるようになっていってしまいました。

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里親になるにあたって

2010-01-07 00:05:05 | 養子里親
里親になるには
「里親登録」という行政上の手続きが必要でした。

先に始めた「週末里親」は「里親」とつきますが
ボランティアなので里親登録をせずとも
家庭養護促進協会という民間社会福祉団体の面接と家庭訪問のみで出来ましたので
新たに書類を提出せねばなりませんでした。

「養子里親」になろう!・・と思ったものの
正直、だいぶ心の葛藤がありました。

家庭養護促進協会から・・(長いので【協会さん】とします)毎月、
お手紙というか、行事のお知らせや里親通信みたいなものが
送られてくるのですが、
協会さんからのお知らせの中に
(・・だったと思いますが(遥か昔なので記憶が定かではない(笑))
夫婦で受講する養子を迎えるための講座で「養親講座」という勉強会の
お知らせがあり、里親登録をする前にその講座を夫婦で受けました。

子どもを受け入れたときの子どもの試し行動や
真実告知のことなどについて事前に勉強します。

試し行動などはYと交流したときに多少、経験しているので
「あぁ、、そうや。。こんなもんやなぁ(^^;)」というのは
だいたい見聞きしていましたが、、、
育てていく子どもは自分たちが
「この子だ!」と思う子を育てていかなければなりません。

普通に妊娠して出産する親は、
子どもを
「こんな子がいい!」
・・・なんて選ぶことはできないので
最初から希望する性別から子どもを選ぶことが出来るなんて
ある意味(語弊がありますが→)ラッキー☆かなとも思えますが、
会ったこともない子どもを一枚の写真で選ばなければならないのです。

その
「人を選ぶ」・・ということに荷の重さを感じ、
私にはどうしてもできませんでした。

「養親講座」では養子縁組の対象になっている子どもの写真が
並べられていましたが私はその時、直視できませんでした。

綺麗ごとのように
「子育てをしたいから」と一言でいっても
要は「養子をもらいたい」 「子どもが欲しい」
という自分たちの’’エゴ,,でしかありません。
そういった自分ではわかっているけど自分たちの欲求を満たすようなことが
いやらしくも感じられてきて
(「こんな気持ちでやっていいのだろうか・・」)という思いにかられてしまいました。

休憩時間に夫と写真を見に行きましたが
「ふぅ~ん・・」という感じでまるで人ごと・・。

ひとり、男の子で二人ともが
「この子かわいいね」
と思った子がいましたが
Yくんに似た子でした・・・。

やはり私たちはまだYのことを引きずっていました。

里親の、、ボランティアだったとはいえ、
初めて関わった子どもだったのでやはり一番始めの子が
基準(?)のようになりがちになってしまいまして
・・でも子どもは顔が似ていたとしても当たり前ですが
性格も全然違うしそもそも比べても仕方ないのですが、、、

結局、講座は全3週参加しましたが
自分たちの里親になる心構えや気持ちがかえってわからなくなってしまい、
私も今すぐに子育てを・・とならずに転職をしてしまいまして
新しい仕事に就いてしまいました。

夫の仕事も相変わらずずっと忙しく、
里親の話も里親登録さえも書類を取り寄せることもないまま、
保留になっていってしまいました。

やはり子どもにとっても自分たちにとっても
一生に関わることなので私たちにはもう少し考える時間が必要でした・・。

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初・ブログ

2010-01-05 22:27:30 | プロフィール
はじめまして。

ミカタ☆と言います。
よろしくお願いします。

私は結婚をして12年目になります。

主人と私は関西と新潟で7年の遠距離恋愛の末結ばれました。

付き合っている時から結婚すれば自然と子どもは出来るはず・・・
二人ともそう信じて止みませんでした。

結婚式も夫の地元(愛知県)の神社で行ったのですが
「子どもが生まれたらここでお宮参りに来れるから・・」
という理由がありました。

お宮参りだけでなく、全てが
「子どもが出来たら」
・・・が前提でした。

まさか自分たちの子どもが出来ないなんて想像できませんでした。

結婚で新潟から大阪に嫁いで来たのですが
結婚してからもしばらくして働きだし、半年くらい経った頃でしょうか・・
最初の頃から生活文化の違い、土地柄の違いやいろいろなストレスで
体に異変が出たのです。
(元々、10代の頃から月のものは正常ではありませんでした)

婦人科系の異変だったので勇気を出して家の近所の産婦人科の門をたたきました。

もっと早くに病院に行けばよかったのですが、
【「産婦人科」へ行くことは妊娠した時に行くもの】という概念しかなかった私は
本当に勇気がいりました。

当時、パソコンもなかったので
電話帳などで女医さんの産婦人科を探して行ったものです・・。

その産婦人科で診てもらうと
卵巣が委縮しており、もうほとんど機能していないと・・・

そう言われてショックはショックでしたが
その時はそれほど危機感を感じず
治療すれば治るだろう・・くらいに思っていて
私も自分自身の体のことなのに全くの無知でした。


それから不妊治療を・・と言っても肝心の「タマゴ」がありませんので
治療することと言えば
ただただ何年もホルモン剤を服用するだけの治療。(治療というのかな?

「不妊治療」という以前の問題でした。

西洋医学では治療する術がなかったので東洋医学(鍼灸や漢方)や
体にいいと言われることはいろいろやりましたが
結局妊娠に結びつくことはなく、今に至っています。
(漢方は今でも自分の体調管理のために毎日服用しています)


こんな身体の自分を恨んだことも多々ありました。
妊娠できない自分を受け入れられず
しばらくの間は半狂乱になり、
ひきこもりになったり生きる気力も失くし、精神的にもかなり病んでいました。

消えてなくなってしまいたい・・。

自分の存在を否定し続ける日々が続きます。

私と一緒になったばかりに子が望めぬと・・
夫のことが不憫に思い、離婚を・・と訴えたりして
夫を何度となく困らせました。

でもそんな私を夫は受け止めてくれました。

それだけでも
「私はなんて幸せ者なんだ・・」と思います。(←ノロケです

だけどかえって早いうちに妊娠の可能性がないとはっきり言われた方が
スッパリと見切りをつけて諦めることができました。

子どもは自分で産むことは出来ないけれど
「育てることは出来る!」という考えに変わってきたのです。

でも最初から養子縁組は考えられませんでした。

血縁には二人ともこだわりはなかったので
血がつながらないことは仕方がないと思えたのだけど
実際問題、育てていかなければなりません。

そこまでの「覚悟」が私たちにはありませんでした。


それでも養子・・というか里親を漠然と考えるようになったのは
今から5年前くらいだったでしょうか?
市報で「里親募集」の項目を私がみつけ、
里親シンポジウムで里親さんの体験談などを聞きに行き、
里親会の方々とお話しする機会があり、
里親になることを勧められたのですが
その時は話を聞きに行っただけで全く行動に移せませんでした。

大阪市の制度で
「週末里親」というボランティアの制度があったので
しばらくしてそれに申し込みをしていました。

申し込んで一年後の2007年、当時2歳半の「Yくん」との出会いがありました。
Yくんとはちょうど一年間の交流でしたが、この交流が私たちの背中を押してくれました。

・・・といいつつ(笑)
その間、2年の月日が流れてしまいましたが
2年間悩みに悩みました。

あーでもない、こーでもないと2年間(笑)

最初はYくんとの交流が切れたあと、
すぐに次の週末里親のお話があり、
私はその子どもさんを一目で気に入りました
「この子カワイイ
 ぜひお世話したい

だけど夫はYくんとお別れして間もないのにそんな気になれないと一蹴・・。
その後の夫婦関係はしばらく冷戦状態だったのは言うまでもありません。

夫の言い分は
Yくんの場合は「一定期間」と限られていたからよかったけど
次の子はいつまでの委託か未定だったことにありました。
週末里親は「養育里親」でも「養子里親」でもない
ボランティアなのでたまの浅いおつきあいしか出来ません。

何年一緒に居ても
その子どもの「お父さん」「お母さん」にはなれないのです。

そしていざ、
私たちも「お父さん」「お母さん」になりたくなったときに
それから10年以上週末里親で関わっているとすれば
その間自分たちが歳だけ取って「親」になりたいと思った時にはなれない・・と。
(年齢制限などもありますので)

 実際、週末里親を7年やったけど途中でその子どもとの関係を切って
 養子里親にシフトした夫婦もいました。
 そういったことになったら子どもとの関係も中途半端に終わり、
 子どもを傷つけてしまうことになるでしょう・・・・
 実親から裏切られ、里親も離れて行ってしまったら・・・

 そんなことなら中途半端に委託期間が定まっていない週末里親も
 しない方がよいだろうと・・・


「養育里親」も戸籍には入れられないけど
たくさんの子どもと関わっていきたいということも希望としてありましたが
結局、私たちは転勤族なので転勤する時に実親の同意がない場合、
子どもを赴任地に連れて行けないという問題も出てくるので
「養育里親」という選択肢も困難でした。

残る道は「養子里親」になること。

特別養子縁組を結べば戸籍上でも親子になることができます。

Yくんを預かっている時でさえたまに家に遊びに来てくれた時は
家の中が華やぎました。
本当に楽しかったです。
笑顔が最高にかわいい子どもでしたから・・

「Yがウチの子だったら・・・」と何度思ったことか。


やっぱり我が家には子どもが居た方がいい。


子どもとずっと一緒に暮らしていきたい。



その二人の気持ちは一致していました。
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