「かつて私に『ご覧ください。サウルは死にました』と告げて、自分では良い知らせをもたらしたつもりでいた者を、私は捕らえて、ツィクラグで殺した。それが、その良い知らせへの報いであった。」(Ⅱサムエル4:10新改訳)
サウルの下にいた略奪隊(りゃくだつたい)の隊長、バアナとレカブはアブネルの死を見て、ダビデに頼ろうとサウルの息子イシュ・ボシェテを暗殺、その首を贈り物としてダビデの所に持って来た。こうすれば喜んで部下にしてくれるだろうと思ったのである。▼ふつうの支配者ならそうしただろうが、二人は高潔(こうけつ)なダビデの人柄(ひとがら)を知らなかった。ダビデは怒り、無罪のイシュ・ボシェテを殺した彼らを死刑にして木につるした(12)。その怒りのはげしさが伝わってくる。▼人は自分の道徳レベルで他人を判断し、同じように考えているにちがいない、と錯覚(さっかく)しがちである。まして聖なる神が人をどのように見ているかは聖書以外に知ることはできない。最後の審判を思い、恐れおののいて生きるべきではなかろうか。「また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。」(黙示録20:12同)