「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」(Ⅰコリント1:25新改訳)
私たちは旧新約聖書を手にするとき、この一冊の書物が天地宇宙の創造もおよばないスケールの内容と価値を持つことがなかなかわからない。それで大部分の人は聖書を開きもせず、ぼう大な学問と知識を探求(たんきゅう)し、人生を費(つい)やして生涯を終えて行く。▼社会は人間の努力に対し、種々の賞や名誉(めいよ)、地位を与えてほめたたえ、むくいる。それが現代社会で行われていることの本当の姿である。しかし実のところ、それらは「空の空」であり、神の目からごらんになるとき、価値あるものは何一つない。いみじくもソロモンがため息をつきながら記したとおりである。「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者12:13同)▼ナザレ出身の一青年が、神の知恵の結晶であり、かがやきであることを誰が解明(かいめい)できたか。人はこの青年をさげすむことはできても、礼拝することはできなかった。人の知恵と神の知恵は正反対だからである。