「アキシュはダビデを信用して、こう思っていた。『彼は自分の同胞イスラエル人に、とても憎まれるようなことをしている。彼はいつまでも私のしもべでいるだろう。』」(Ⅰサムエル27:12新改訳)
サウルの執拗(しつよう)さは尋常一様(じんじょういちよう)でなく、ダビデの心は折れそうになっていた。このままでは、遠からずその手に落ち、滅ぼされることになろう。そう予想したダビデの心境(しんきょう)を、だれも責められないであろう。▼だがもし、ここで彼が「今後どうしたらよいですか?」と神に尋ねていれば、「あくまで、ユダ国内にとどまれ。わたしはどのような時もあなたを保護し守る。サウルの手に渡しはしない」とのお声を聞いたはずである。しかし本章に、ダビデがそうしたとは記されていない。▼その結果、国外に出るしかないとの結論に達し、彼は仲間六百人を引き連れてイスラエルの宿敵、ペリシテ人の地に逃亡した。だが、サウルの追求はなくなったものの、今度はペリシテ人に嘘をついて、「仮面の生活」をしなければならなくなった。つまり、自分たちはペリシテ人に味方してイスラエル人の敵となる道を選びました、という言い訳である。お人よしのアキシュはすっかり信用し、すばらしいユダヤ人を家来にできた、と有頂天(うちょうてん)になった。ペリシテ人の地に滞在した一年四か月は、ダビデにとって、心に大きな苦しみをおぼえる期間だったにちがいない。▼私たちが学ぶのは、どんなにきびしい状況になったとしても、主に対する信仰を決して放棄してはならない、ということである(→Ⅰサムエル22:5)。 「民よ、どんなときにも神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。」(詩篇62:8同)