「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある。」(箴言14:12新改訳)
かつて私の知人にAさんという方がおられた。ある晩、残業を終え、車を運転して家に向かったところ、いつもの道が工事中で通れず、迂回(うかい)しなければならなくなった。そのあたりは湖に面した農村地帯で一面に水田があり、真っ暗な中を道が縦横(じゅうおう)に走っていた。家の方向と思われる道をおよその見当をつけて車を走らせていたが、まだカーナビもスマホもない頃のこと、不安になりながらも、まっすぐな夜道を運転していた。▼ところが、その一直線の道がとつぜん終わっていて、小さな船着場(ふなつきば)になっていたではないか。アッと思った瞬間(しゅんかん)、車は水に飛び込み、ベルトを外すヒマもなく水が侵入、彼は水死してしまったのである。翌日発見され、警察の検死後、目を泣きはらすご家族といっしょに葬儀(そうぎ)に出たことが、今も忘れられない。▼人の一生もこれと似ている。自分で絶対安全(ぜったいあんぜん)と予想していても、想像できない終わりが待ち受けていたらどうするか。しかしたったひとつ、安全な方法がある。この世界にはただ一人「わたしが道である」と言われるお方が存在し、この方によりたのむ生き方をしていれば、真の救いにつながる、ということである。