JR東海はあれからも大垣車両区配属だった311系の廃車を進めてあり、残りは4両組成☓7本(G1〜4、11、14、15編成)だけに。今年1月3日の時点で。“マイナビニュース”のサイトにて書かれていました。
また、213系については全14本組成(H1〜14編成)とも健在なようですが、今春早々からは廃車処理が進みそうですね。
213系5000番代はもともと関西本線にいましたが、あれから同線での利用客も激増。315系3000番代も入るにおよび、本来ならば名古屋〜河原田の全面複線化も考えるべきほどだ。
また、新性能電車では本格的な1М方式になり、315系とか名鉄の9500系などの開発にも大きな影響を与えています。
311系も新快速のほか、臨時快速“ナイスホリデー”での活躍も忘れられませんね。
しかしながら、性能的にはまだまだ国鉄時代の設計思想を何となく引きずっていました。
早ければ、年内にも全廃かな。
なお、JR東日本も近隣線区の運用を大きく見直しへ。
沼津駅まで乗り入れてきたE231、E233系を熱海〜沼津は5両組成に徐々に短縮させる上に減便。また利用客が少ない辰野〜塩尻(善知鳥峠ルート)については今春から昼間は3時間間隔での運行に。もしかしたら、いずれは廃線か? あるいは再度非電化か? 要注意です。
JR東海の在来線一般型電車のその後の設計に影響を与えたとか、ましてや全くの別会社である名鉄に影響を与えたとか、どんな文献や資料に書かれているのでしょうか。
私は213系5000番台に関してそのよ書かれているいる鉄道書籍・ネット記事を見たことはありません。
JR東海の1M方式の電車の本格導入なら、国鉄時代に開発された、105系をベースにしている119系が該当しますよ。
国鉄119系電車 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84119%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A
「機器類
105系のシステムに倣い、小単位運転を可能とするため電動車1両(単行)で運行が可能な1M方式を採用している[注 5]。力行・制動時の性能も105系に準拠しており、台車、主電動機、歯車比、応荷重装置・空転検出装置なども105系と同様である。床下機器は冬季に備えて耐寒構造となっているが、沿線の降雪量は少ないことから耐雪構造は省略されている[7]。」
国鉄213系電車 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84213%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A
「コストダウンのため、その他の機器も211系と極力統一化が図られていることが特徴である。
主制御器は、211系と同様の界磁添加励磁制御を 1M 方式に対応させた電動カム軸方式の CS59 が採用されており、回生ブレーキの使用が可能で、省エネルギーにも配慮されている[1]。本系列での界磁制御を行うため、CS59 主制御器に付随して HS65 励磁装置が搭載されている。この励磁装置は弱め界磁制御と回生ブレーキ使用の際に界磁制御を行うものである。」
5000番台に関しては「0番台を基本としながらも、同社の211系5000番台に準じた仕様の変更がなされている。」とあります。
213系に、105系・119系との共通してることや、105系や119系が213系、ましてや私鉄車両に与えた影響とかに関しては、ウィキペディアには一切書かれていません。
名鉄の本線系統の通勤車は1984年から界磁チョッパ制御回生制動付きの6500系に移行しましたが、4両固定編成で設計したので、端子電圧375Vの複巻モーターを用いて、4個永久直列の8個モーター制御になり、そのままのモーターと制御器では2両編成はオールM車なり、1M車にすると片ユニット扱いになり、加速制御は直列と弱め界磁だけで、回生制動も作動範囲が限られてどちらも不経済になるので、2両編成は端子電圧750Vの直巻モーターで直並列、弱め界磁制御の6000系のままでした。
1985年に国鉄が安価で構造が単純な直巻モーターでも回生制動が可能な界磁添加励磁制御を開発したので、それを用いて1987年12月から製造されたのが6800系で、端子電圧750V直巻モーター4個制御の1M車2両編成でも直並列、弱め界磁制御に回生制動が可能になりました。
但し、性能的にはあくまでも103系ベース。高速域がやや劣っていたのは残念に思いますよ。
高速性能が劣るのに駅間距離が長くて運転速度が高い東海道本線の「するがシャトル」に起用したのも、誤りでしたね。
乗客サービスで冷房化したのですが、110kWモーターの1M車には重たい集中式AU75クーラーとサハシ481から転用した70kVA電動発電機は過負荷で、最高速度も100km/h以下になり113系と同じ運転時刻を維持するのに、各駅での停車秒数を15秒に切り詰めていて、降りる乗客には予めドア付近で待機するように促してる状態でした。