会津若松の飯盛山は白虎隊最期の地として知られています。
白虎隊は戊辰戦争時に新政府軍と戦った会津の少年たちです。
白虎とは中国の方角を司る四神(玄武・青龍・朱雀・白虎)のひとつで年齢別に分けられた隊の名に用いられたそうです。
白虎隊の構成員は若く、年齢は16、17歳だったといいます。
会津に迫りくる新政府軍と戦い、敗退し飯盛山に落ち延びた一部の隊員たちは
そこから会津の街を見下ろし戦火に包まれる城を見て自刃を決意。
飯盛山の中腹にてその短い生涯を閉じます。
木々の繁る飯盛山。
参道のような長い石段を登りつめると、広々とした敷地に出ます。
向かって左手にあるのが白虎隊十九士の墓です。
若き士たちの墓石が整然と並び、線香の煙が絶えません。
白虎隊が自刃した場所はここより右手に進んだところにあります。
結局、会津藩は敗退したために隊員たちがこの地に埋葬されたのは数年後のことです。
このような白虎隊の話が現代に語り継がれているのも、
この地で自刃したうちの1人、飯沼貞吉氏が奇跡的にも蘇生したからに他なりません。
現在に至るまでに白虎隊の話は多少美化されたところも多いようですが
維新の混乱期に若い命が散ったことは目の前の事実なのです。
白虎隊の詳しい話や資料は
付近にある「白虎隊資料館」や「白虎隊伝承史学館」に展示されています。