安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

安全で暮らしやすい日本をつくりたい
そんな想いを綴っていくブログにしたいと思います

高すぎる税金は労働意欲を奪う

2019-06-17 09:09:36 | 政治

家庭の所得を引き上げる方法はある。所得税率を大幅に引き下げることだ。日本の税制は複雑すぎる。一律のフラットタックスを導入する方が、よほど健全な経済の発展、所得の増進がのぞまれるというものだ。年金も同様だ。自分が支払ったものは必ずもらえるのであれば、老後も年金以外の収入を増やす努力ができる。働けば働くほど年金をへずられるのではたまるまい。働けば損をするという制度は根本的間違いがあるのだ。このように法制度が資本主義の精神、勤勉の精神を奪うこともある。問題は、働きがいというよりも、国民が勤勉に働いて豊かになることを、国が人為的に作り上げた制度が邪魔をしている場合が往々にしてあるということだ。消費税も同様なのだ。何かを買おうとすると罰金を取られる、というのではたまるまい。今の政府の考え方は将来的な国の貧困を引き寄せている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最大の福祉は国民所得の増加にある

2019-06-17 08:42:52 | 政治

年金問題の根本解決は容易ではあるまい、しかし原理原則はある。本来自分のことは自分ですべきだという自己責任の原則である。年金はやはり負荷方式をやめて積立式に移行すべきである。他人の年金を支え続けても、将来の自分の年金がどうなるかわからないのでは、本末転倒も甚だしい。政府は、そもそも年金制度を創設する段階から徴税がわりに年金を利用しようとしていたことを正直に告白すべきだ。年金とは事実税金なのである。もし年金が積立式ならば、働けるあいだは働こう、努力して蓄財しよう、という気持ちが芽生える。生活保護がもらえなくなるから働かないとか、年金が削られるから給料を多く貰えない、控除がなくなるから女性が給料を沢山もらわないようにセーブする、などというのは本末転倒である。努力するものが豊かになる。原則はそうであるべきである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国富とは国がお金を配ることじゃない

2019-06-17 06:38:22 | 政治

最近の政府の施政や国会の立法を見ていると、国が豊かになることを「できるだけ働かないようにして、遊ぶことを奨励する」ことだと思っているように感じる。単に「国民がお金を使うことで景気が良くなる」そう思っているように見えて仕方がない。しかし、それは大きな勘違いだとのちのち理解することになるのではないか?国富とは、単なるお金のことじゃない。アメリカのオカシオ-コルテス議員が主張するように、その気になれば、国は基本的に貨幣をいくらでも印刷することができる。ヘリコプターからお金をばら撒くようなこともできるが、その結果はお金だけが増えて実体経済が伴わない、ただのハリボテになってしまう。努力する国民がいなくなれば、経済は発展を止めお金が極端にダブつく、これがハイパーインフレーションと言うものだ。発展途上国型のインフレは経済が伴わないから起こる。日本から勤勉さを失わせるのは簡単だ、しかし、勤勉な国民性を取り戻すのは容易な道ではないだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

資本主義精神にを失って何が繁栄か?

2019-06-17 06:10:22 | 政治
政府は選挙の公約である「骨太の方針」に最低賃金全国平均1000円を打ち出している。しかし、これほど資本主義の精神を誤解する公約はあるまい。マックスウェーバーの著した「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」には、なぜ国が豊かになるのか?その理由を、プロテスタントの持つ「資本主義を支える”勤勉の精神こそ神の御心に叶う”という倫理観」に求めている。時給が上がることは嬉しいことであろう、しかし、人間は他人に施してもらうことを”当たり前”としてはならない。国が民間企業の経営に対して、軽々に口をはさんではならない。努力し、人々に喜ばれた結果、多くの従業員の給料が上がる。それで良いのではないだろうか?給料を一律的に引き上げることは、いわば国民が全員公務員化するということである。働いても働かなくても給料が同じ、社会主義と同じ方向に向いていることを知らなくてはならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする