サイプレス

鬱病になり不安定な毎日。今は宝塚熱が再燃して、これがいい処方箋になっています。

この冬のテレビドラマは宝塚OGまつり

2011年01月20日 | つぶやき
この冬のテレビドラマは宝塚OGの出演が
相次いでいる。

■檀 れい
「美しい隣人」

火曜日 22:00~ フジテレビ

■真矢みき

「告発~国選弁護人」

木曜日 21:00~ テレビ朝日

星組・音花ゆりの妹の相武紗季が、真矢の姪の役で出演。


■紺野まひる

「外交官 黒田康作」

木曜日 22:00~(初回は21:00~) フジテレビ

今回は、香川照之の妻・霜村倫世役。


■白羽ゆり

「冬のサクラ」

日曜日 21:00~ TBS

まあ、たぶん宝塚を知らない人でも判るのは上の2人。(笑)

紺野まひるは、今のところ写真でしか顔がはっきりしてない。(笑)
でも、まあ、これからどんな風にでてくるのか、ドラマの進行と共に
変な楽しみ方をしている私です。






プリンセス・マサコ

2011年01月19日 | 読書


ベン・ヒルズ著  第三書房

2007年に出版された時から、宮内庁があまりに内容がひどいと
著者の母国であるオーストラリアに抗議をしたいと外務省に
申し入れた本。

宮内庁の抗議は、天皇・皇后に対してのものだったが・・・。

宮内庁の反論

ただ、タイトルが示すようにこれは雅子妃の話だけれど、
たぶん欧米の人からみた皇室の不思議さを書きたっかたのだろうが、
彼にその能力がなかった・・・と、いいように解釈しているけれど、
底流に流れているのは皇室不要論の一言に尽きる。

オーストラリアは、排日運動がうねりのように起こる国だし、
その中で育った彼ははっきり言って「日本嫌い」もしくは、
「天皇嫌い」なんだと思う。(笑)

おまけに、訳者の方は人権侵害の話だと「あとがき」で書いているが、
憲法の天皇の項には、人権については触れられてはいない。
国民の項には、人権についての言及がある。
ここから、考えられるのは天皇には極端にいえば人権がないのだ。
英語は出来るのかも知れないけれど、「憲法を読んでください・・・」
と、言いたいけれど、もし田嶋女史みたいなタイプなら読んでも
意味がわからないだろうな・・・。

ただ、こんな本でも共感した箇所が一つあった。
何故、雅子妃はあれだけ外国での生活が長いのに歯列矯正をしていないのか?
これは、私も同感である。

どうでもいいことだけど、欧米では八重歯ですら嫌う文化圏に
永らく住んでいて、おまけに他の親よりそのことに気がつく
チャンスが多かったはずなのに・・・・いつも不思議に思っていた。

分厚い本だけど、よく判ったのは彼女が勉強熱心であるということ
だけだった。(笑)



もう・・・・、まだ・・・・16年

2011年01月17日 | つぶやき



1995年の1月17日は、忘れられない日である。

でも、「もう」というべきか「まだ」というべきか、16年がたった。
仏教的に言えば17回忌である。

実は、私は今年に入ってからDrストップで一日もまだ仕事に行っていない。

自分にとっての辛い時期は、体をとにかく休めて、情報を遮断して
生活するほうがいいとのことで、テレビも新聞も関係のあるものは遮断。

ちょっとした気晴らしのお出かけは、私にとっては震災のイメージが
薄いところに限定しているほど徹底している私。

あの時は、大混乱の中での無我夢中の時期だったけれど、
時間がたつにつれて辛い記憶へと変化していった。

何度も記憶を反芻するので、より記憶が鮮明になってくる部分もあるし、
まったく抜け落ちている部分もある。

このことを自分が体験するまで、身近にいた戦争を経験した人が
「そのことは思い出したくない・・・」ということが多く、
子供だった私は、経験した人が話してくれないと分からないのに・・・
と、思っていたけれど、自分が震災を経験したことにより、
なかなかあの時の経験は、身近になれば成る程言いにくい。


神戸も、震災以降に転入してきた人や生まれた人が38%も占めるように
なってきた。
転入して来た人は、「震災前はこうでね、後はこうなったのよ。」と、
神戸の人に必ずと言っていいほど当たり前にのように
いわれる事にびっくりしたという。
震災が、神戸の人の時間を表す指標のひとつになっているのだろう。

最近読んだ本の中で、曽野綾子の「老いの才覚」があるが、
目を惹いた箇所があった。

最近の被災地の映像を見ていると、彼女は苛立ちを覚えるという。
ただ、座って「まだ食料が来ないから食べることが出来ない」という
言葉は戦中派の彼女には信じられないようだ。
私自身、避難所で見た光景で印象深かったのは、比較的若い世代は、
なすすべなく戸惑っていたように見えたけれど、
戦中派のおばちゃんたちのエネルギーはすごかった。

同じようなお弁当が続き、不満が若い世代から出ているときも
彼女達は、お弁当の中のご飯を雑炊にしたり、「つくだに」を作って
味のアクセントにしたり・・・。
その様子をみて「内心すごい!!」と思った私。
その時の彼女達の合言葉は、「食料があるんやから工夫したらええ」

「もう恐れ入りました!!」(笑)

戦争の経験はないほうがいいけれど、あの時の彼女達は明らかに
あの経験を踏まえての行動だった・・・。

だったら、私はこの自分の経験をどう生かしていけるんだろう。



本当に寒い日が続く

2011年01月16日 | つぶやき


本当に寒い日が続き、「巣篭もる」私。


でも、こんなに寒い日が続くと動きだす時間が遅くなる。(笑)

部屋の中に太陽の光がイッパイ入ってきてやっと動き出す。

こんな時、冬眠している熊を思いだす。

自分が冬眠している熊みたいに思える。

それでも、街中の木の芽やベランダのチューリップの芽が
でてきているのを見ると、春が近いんだ!!と思う。
というより、言い聞かせている私。

写真は、2005年の元旦の金閣寺。
この前日、吹雪くほどの寒さだったのですが、元旦はいいお天気だったので、
朝早くから寒さを押して出かけたものです。

チュニジアの暴動

2011年01月15日 | つぶやき
チュニジアで暴動が起こって大統領が国外脱出をしたらしい。

その国の最高権力者が国外に脱出するなんて、イラン革命のパーレビ国王みたいだ。
もちろん、脱出した・・・という箇所だけなんだけど。


今から2500年ほど前カルタゴと呼ばれた。

フェニキア人の兄妹がレバノン辺りいたが、兄から逃れて妹が
この地に国を建国した・・・とかというような神話が来歴だったと思う。

まあフェニキア人によってつくられた国ではあったようだ。

当時シチリアは、カルタゴの勢力範囲だった。

この国は、ポエニ戦争で「ハンニバル」という優秀な
武将を生んだが、その後このハンニバルは、ローマのスキピオに負ける。

スキピオは、ポエニ戦争に勝ったことによって、シチリアを手に入れ
スキピオ・アフリカヌスなんて名前を与えられたほど。

その後ローマ帝国の属州の一つになった。

いますぐには行けないけれど、チュニジアは行きたいと思っている国の一つ。
色んな事情があるんだろうけれど、早く落ち着いて欲しいな。

「ハンニバル」と聞いて微笑んでしまう人も結構多いんだから・・・。


日本料理 華松 ~須磨 月見山

2011年01月15日 | 美味しい物


父叔母と叔父とのランチ。

いつも叔母が、「○○ちゃんの近所はスーパーも、食べ物屋さんも
近くにあっていいよね~~。こっちは何にもあらへん。」と、
ぼやいていた。


もう80過ぎて、毎日毎日三食のご飯を作るのに疲れている叔母。
おまけに、叔父はとっても可愛い性格だが、すぐに忘れてしまうので、
叔母にとっては、元気でしっかりしていた時とのギャップが
中々埋まらずこれもイライラする一因になっている。

で、パラパラとこの辺りの情報を載せている情報誌をめくっていると、
とっても近い場所によさげな日本料理屋さんがあった。

すぐに叔母に電話して、おごってもらおうと画策する私。(笑)

場所の説明を本を見ながらすると、「え~~そんな処にあったけ・・・」
という。
私も、モチロン土地勘のある場所だが、実は全く見当がつかない。(笑)
でも、良さそうだから行ってみようよ・・・ということで、
行ってまいりました。

あまりに美味しくて食べるのに急がしかったので写真を
撮り忘れたのですが、お刺し身は天然のかんぱちとひらめ。

女将さんに聞くと、2年前からこの場所で営業していて、
その前は35年三宮でお店をしていたんだそう。

器も、有田や九谷が惜しげもなく使われていて、器好きな私はご機嫌。

このお店のあるあたりは高齢者が多いこともあってか、
優しい味付けで消化のよさそうな食材。

そのおかげかいつもは、お酒をドンドン飲んで、食べるのが後回しになる
叔父の箸も良く進んで完食しておりました。

叔母は、こんなに近くにいいお店を見つけた!!と、喜んでおりました。
今度は、お友達を誘ってみるんだそうです。

ちょっと隠れ家(というより本当に隠れ家です)の雰囲気を
静かに味わえる大人のお店でした。

母の好きな歌手

2011年01月14日 | 音楽


母の好きな歌手は、エルビス・プレスリーとマリオ・デル・モナコというテノール歌手だった。

日本で生まれ育ったわりに私は、日本の音楽に本当に疎い。(笑)

なんでかな~と、思っていたけれど、一つは「洋楽命!!」の母の
影響は大きい。

演歌に至っては、全くと言っていいほど共感することが未だに出来ず、
さっぱりわからない世界だ。

昔は、今ほど海外のアーティストが日本に来ることはなかったので、
「プレちゃんのコンサート映画」が来たときには、幼い私たち3人を父おばに
預けて、夜から上映の映画でひとしきり興奮して帰って来たことも
あるほどなのだ。

自分の兄弟ではない人にでも預けてまで見たい!!人だったらしい。(笑)

当然のように彼の音楽が家には流れていた。

で、まあそんなアグレッシブな?音楽を好むかと思えば、
オペラのアリアも当然のように流れていて、その中でもお気に入りは
マリオ・デル・モナコ。
こちらは、来日の慶賀に浴しなかったので、レコードで済んだが・・・・。

そんな彼女の晩年を熱中させたもの。
テノール歌手のホセ・カレーラスだ。

母の影響もあってか、学生の時からオペラにも興味があったけれど、
もっぱらレコードやテレビでの鑑賞がほとんどだった。
その中でも、ホセが白血病を克服してのコンサートや、
後に三大テノールといわれて世界中をコンサートするきっかけになった
ローマ・カラカラ浴場での三人のテノール歌手をみて
私と母は、海外っていいなぁ~と、指をくわえていたのだ。

さっき、BS-HIで、ホセ・カレーラスのインタビューが1時間半にわたって
行われていたけれど、なんと言うか彼の真摯な答え方に改めて
感動いたしました。

彼のコンサートでは、歌を力いっぱい歌っている彼をみて、
客席は「そんなに歌ったら倒れる!!(笑)」などと思いながらみてしまう。
でも、そんな温かい空気の中で行われる彼のコンサートが私は好きである。

でも、もう一つ彼を見てしまう理由は母が自分が亡くなる少し前、
「これからは、ホセについて世界を飛び回るのよ」と言ったからかもしれない。
ストーカー母が現れるのをちょっと楽しみにしている私。(笑)


阪急電車

2011年01月14日 | 読書
阪急電車  有川 浩著 幻冬社 
この4月に公開される映画の原作
このタイトルを見たときから、とても気になっていた本。

阪急電車は、大阪梅田から西は神戸三宮、北は京都河原町、その他にも、
支線のような短い線路が京阪神地区を中心に走っている路線だ。

ほかの地方の人には何のことか判らない方もいっらしゃるだろうが、
阪急沿線は、軒並み高級住宅地で、オシャレなお店が沿線に
多いことで有名で、この辺りでは、ちょっとというか、
かなりの憧れの沿線なのである。(笑)

で、その中でもこの本の舞台になっているのが、阪急今津線。
西宮北口から、宝塚までの僅か15分の電車の中でのストーリー。

電車の中に、たまたま乗り合わせただけの乗客のストーリーが
次々に展開されていくのでとっても面白い。
おまけに、ラッキーなことにこの沿線にものすごく詳しい訳では
ないけれど、宝塚を観に行くときには必ず乗車する電車だけに、
「うん、うん、あるある」と、うなづけてしまうのも私には楽しい。

映画のほうも面白そうだし、もうほとんど関西総力で、
この映画を応援しているようだ。(笑)
12月に、阪急は通常ダイヤ(ここはほぼ10分おきに出発している)に
電車を割り込ませて、エキストラを入れて日中撮影したらしい。
こんな神業のダイヤグラムを組むことは、もう無いだろうけれど、すごい!!
撮影時点の記事

終電が行ってからの、夜中の電車撮影はよく聞いたことがあるけれど、
日中の撮影はかなりハードだ。
それくらい、阪急もこの映画に映画に期待しているんだろうな。

個人的には、タカラジェンヌも映像に映り込みらしいので、
どんな風に映りこむのかも興味津々です。


ミック・カーン (元ジャパン)の死

2011年01月12日 | 音楽
私が、中学に入った頃たまたま席が近くだった同級生が
教えてくれたイギリスのバンド「ジャパン」

ボーカルのデヴィッド・シルビィアンの美しい容貌で日本で
先に人気が出た。

同級生もご多分に漏れずこの美しいビジュアルについて熱く語っていた。
おまけに、おっかけもしていて、その時の写真も見せてくれたりしていた。

アイドル風な人気とはウラハラに彼らの音楽は、
どこか小難しい。(笑)

イギリスで認められるまで数年かかり、その間の費用を
日本のファンが支えたとも揶揄されたこともある彼ら。

その中で、ベーシストのミック・カーンの存在は、
それだけでミラクルなエキセントリックさだった。

その彼が、この1月4日に亡くなったのだそう。
52歳だという。

あんまり変わらない・・・・。

彼らのビデオの中から

代表作の「孤独の影」(後期の作品)


Life in Tokyo (初期の作品)

ご冥福をお祈りいたします。