遊asobu☆による保育士向上委員会

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【保育のニュース】黒子のバスケ事件被告人陳述から、保育や子育てを変えていくということ

2024年07月08日 | 保育の時事問題

こんにちは☺

いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます!!

 


私は、子育てや保育、教育を前進させるためには、子どものネガティブな行動から学ばないといけないと思っています。



この事件は、幸い、京アニ事件のような凶悪犯罪までに行きませんでしたが、被告人が生育暦を客観的に自己分析している点で、とても貴重な資料になると思います。

〈京都アニメーション放火殺人事件判決→リンク

子どもは、生まれてきた世界をまず肯定的に受け止める必要があります。

 

自分は安心して、安全に過ごせるのか、また自分が困ってる時には助けてくれる人がいるのかどうか、これらを実感する必要があります。


それらを満たしてくれる存在は、まずは主に母親であることが多く、身近な大人によって満たされないと、不安を抱えたまま成長することになり、いつか不安をわかってもらうために、間違った行動を起こしてしまうリスクがあります。



その場合、『私は不安なんだ!』と、適切に伝える手段が身に着いていないので、思いつく手段で!となります。



どこかで不安を解消してくれるような、大人や友人と出会えると、行動を起こしてまで自分を理解してもらおうとする必要はなくなるのですが。



被告人による、あるべき子どもの発達段階によると、



愛着が基本となりながら、、



安心→感情の共有→規範の共有→安心を与えてくれ、感情・規範を共有してきた保護者の内在化→心理的再検討(思春期)→社会的存在(完成)となるという。


これが上手くいかないと、自分を評価できず、他人のために!という利他的な気持ちが育たないんだと。



実体験と後に得た知識が融合した、とても説得力のある自己分析だと感じました。




おそらく被告は、ずっと自分がこの世に存在しなかったんだと思います。

 

生まれてから間もなく、親の所有物になり、学校に上がってからは、周囲に共感されない自分はいないのと同じ!、いじめられる自分はいないのと同じ!だったんだろうなと。




そこで自分を存在すること!にするため、行動を起こしてしまったと思われます。




過去の重大少年犯罪の場合でも、同じようなケースが多くみられます。



戦後直後は、人を殺してはいけないことさえ知らずに育った人が実際にいたりしたそうですが、現代でも不安で感情や規範が親と共有されないまま育つ子どもがいるということでは、近いものがあるのではないでしょうか。





こういう事件が起きると必ず言われることが2つあって



①少年法の厳罰化



②同じような生育暦の場合でも事件を起こさない人がほとんどである




①の少年法の厳罰化は、背景が問題であり、犯罪抑止力には繋がっていないという意見も説得力があるように思えるし、被害者側の恨みを晴らすという目的が強く、また対処療法であって、直接社会をいい方向へ改善していく制度でもなかったりします。



個人的には、被害者家族の気持ちが晴れるだけでは意味がないのではないかなと。



被害者と被害者家族のケアは別に十分にする必要はあります!

 

場合によっては、一生かけて必要かもしれません。

 

でもそれは復讐ではないのではないかって。

私たちは第三者だからこそ冷静に客観的に考えられるのであって、当事者だったら私も復讐したいだろうけども…



でもそういう残虐な人間を生み出したのは、その両親でもあり、その両親が育った社会という側面もあります。

 

両親が悪いとなると、そのまた両親を生み出したのは、少し前の社会でもあるので、社会全体にも変えないといけないところがずっと以前からあったはずで。 


厳罰化はあくまでもその人間だけ!が悪いのであって、子育てや保育、教育、そして身近にいた人間の問題ではない!!んだということになり、教育や子育ての可能性を狭め、両親を含めた大人の責任逃れであったり、社会には改善されるところが何一つなくとなりやすく、それはどうなんだろう?と。



子育てや保育、教育の可能性を狭めてしまって、限界を認めてしまうことになりはしないでしょうか。




同じような生育暦でも事件を起こさない人がほとんどって、それはそうかもしれません。

 

しかし、それを言ってしまうとこれもその人だけの問題となって問題が矮小化され、教育や子育て、社会には問題がないとなりやすく、進歩がないのではないでしょうか。

 

しかも、人には個人差や素質の違いがあります。


 

大切なのは今後、同じようなことを繰り返さないことであって、問題を抱えている親や子どもへの必要なサポートがあったのか?!、周囲の人間は問題に気付いて何かできることは他になかったのか?!、教育や児童福祉は十分だったのか?!振り返ることで、社会全体が前に進めるのではないでしょうか。





一見しただけで、気分が悪い事件でスルーしてしまってた事件かもしれませんが、一歩間違えたら凶悪犯罪になりかねない心理状態だったように思えますし、今後の社会のために貴重な資料にして活かさないと、また同じような事件が繰り返されるのではないでしょうか。




〈参考:京都アニメーション放火殺人事件の背景から社会に必要だと思うこと〉

 

【保育のねらい(基本的信頼感)】京都アニメーション放火犯人の背景から、大人として必要なことを考える

【保育のねらい(基本的信頼感)】京都アニメーション放火犯人の背景から、大人として必要なことを考える

凄惨な京都アニメーション放火事件から、子どもの福祉を考えました。今後このような事件を二度と起こさないために出来ることは何でしょうか。

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