あらためて容疑者の発言や手紙の内容を考えてみると、思い当たる節が確かにあるって思って、、
この事件は今のこの国の状況ではもしかしたら必然的に起きたことだったんじゃないかなって、、
私自身の経験だけでも、一緒に働いていたスタッフが障害のある利用者に暴言を吐いたり、体罰を加えることがあった
それも間違った正義感を持っていて、本人は良かれと思っていたようでした
具体的には暴れている時には力ずくでも押さえつけたらいい、怖がらせないとわからないといった考えや、手のかかる利用者には休んでくれたら嬉しい、辞めてくれたらいいと普通に話していたりで、、
そして周囲のスタッフもそれに批判的ではなく、むしろ同調的だったんです
また常に研修時に話に上るのは、スタッフの質の問題だったりで、、
どこの施設もスタッフの言動に困っていたんですね
それは結局ある意味仕方のないことかもって思ったりで、、
最初から障害者福祉を目指して学んだ人とそうでない一般の人とはかなりの意識の差があるんだろうなって、、
それが一緒に働いているんだって、、
一般の人というのは世間とはそういうもんなんだって、、
特に障害者福祉を学ぶ機会や関心がないと容疑者のように行動しないまでも考え方は近くなるものなのかもって、、
それが行き切ってしまったのが今回の事件だったのではないかなと、、
私もたまたま障害者福祉の仕事に就いたから、障害のある人にも普通に自然に尊厳があると思えるけ、、
もしそうでなかったら同じ考えになったはずで、学校なんかで障害者の尊厳について学んだ記憶はないし、仕事をすることになって初めて知ったことばかりだしね
19人もの障害のある人が亡くなった
このような大変な事件が起きるってことは、
この国の方向性がどこか間違っていたからなのではないかなと思ったり、、
これを無駄にしてはいけない! いい方向に変えていかないと、19人もの命が浮かばれないって、、
容疑者の志向性を十分に考え、あらゆる場面でこうすれば起きなかったのではないかということを社会全体で考えていかなくてはって、、
以前は仕事への想いから、障害のある人の支援者だけは障害受容をしなければいけないと書いたが、それではまたこのような事件が起きてしまうので、社会全体がということなんだと思い直したり、、
障害受容、、、言葉が出ない、歩くことができないなどから、言葉が出るようにならないといけない人、歩くことができるようにならないといけない人と考えるのではなく、言葉が出ないのが~さん、歩くことができないのが~さんとまず障害のある状態を受け入れてそこから支援方法や出来ることを探すという考え方 障害のある人の人格や主体性を自然にあることとして尊重するってこと
参考記事
放課後等デイサービスマガジン発行について
障害者は死んだほうがいいのか?
この事件は今のこの国の状況ではもしかしたら必然的に起きたことだったんじゃないかなって、、
私自身の経験だけでも、一緒に働いていたスタッフが障害のある利用者に暴言を吐いたり、体罰を加えることがあった
それも間違った正義感を持っていて、本人は良かれと思っていたようでした
具体的には暴れている時には力ずくでも押さえつけたらいい、怖がらせないとわからないといった考えや、手のかかる利用者には休んでくれたら嬉しい、辞めてくれたらいいと普通に話していたりで、、
そして周囲のスタッフもそれに批判的ではなく、むしろ同調的だったんです
また常に研修時に話に上るのは、スタッフの質の問題だったりで、、
どこの施設もスタッフの言動に困っていたんですね
それは結局ある意味仕方のないことかもって思ったりで、、
最初から障害者福祉を目指して学んだ人とそうでない一般の人とはかなりの意識の差があるんだろうなって、、
それが一緒に働いているんだって、、
一般の人というのは世間とはそういうもんなんだって、、
特に障害者福祉を学ぶ機会や関心がないと容疑者のように行動しないまでも考え方は近くなるものなのかもって、、
それが行き切ってしまったのが今回の事件だったのではないかなと、、
私もたまたま障害者福祉の仕事に就いたから、障害のある人にも普通に自然に尊厳があると思えるけ、、
もしそうでなかったら同じ考えになったはずで、学校なんかで障害者の尊厳について学んだ記憶はないし、仕事をすることになって初めて知ったことばかりだしね
19人もの障害のある人が亡くなった
このような大変な事件が起きるってことは、
この国の方向性がどこか間違っていたからなのではないかなと思ったり、、
これを無駄にしてはいけない! いい方向に変えていかないと、19人もの命が浮かばれないって、、
容疑者の志向性を十分に考え、あらゆる場面でこうすれば起きなかったのではないかということを社会全体で考えていかなくてはって、、
以前は仕事への想いから、障害のある人の支援者だけは障害受容をしなければいけないと書いたが、それではまたこのような事件が起きてしまうので、社会全体がということなんだと思い直したり、、
障害受容、、、言葉が出ない、歩くことができないなどから、言葉が出るようにならないといけない人、歩くことができるようにならないといけない人と考えるのではなく、言葉が出ないのが~さん、歩くことができないのが~さんとまず障害のある状態を受け入れてそこから支援方法や出来ることを探すという考え方 障害のある人の人格や主体性を自然にあることとして尊重するってこと
参考記事
放課後等デイサービスマガジン発行について
障害者は死んだほうがいいのか?
でも現実を見たことはありますか?
意思もなく、体も自由に動かせず、ただ生きてる。生かされてる。
ただ命を助けるではなく、人は人の寿命を安易に伸ばしてはいけないと思います。施設に入れば手厚い介護をうけ、長生きします。介護者は障害者の暴力、暴言に耐え、心が擦り切れていきます。
それが本当に幸せなんでしょうか?
綺麗事は現実を知らないから言えることであると、関係者は心にしまっています。
失礼しました。