遊asobu☆による保育士向上委員会

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将来がちょっと心配なタイプの子どもって

2016年10月31日 | 保育士の向上
これまでいろいろなタイプの子どもを見てきて、





将来、どうなるのかな?ってちょっと心配になってしまう子ってどんな子かなって考えると、、





親の前で自分を出せていない子なんだよね





やんちゃで、手がかかって、





暴言や時には手が出てしまうような子は、





実はそんなに心配ではない





そういう問題行動に保育者が普通にというか、





きちんと対応して支援していれば、





将来、そんなにはね





なぜかというと、、





その時は本当に大変でトラブルも多く、





保護者の方に何度も謝罪をしないといけなかったような子で、





もし将来、少し道を外れるようなことがあったとしても、





心の持ち方も人との付き合い方も子どもの頃に経験を積んでいる分、





自分で元に戻っていく力を発揮できるんじゃないかなって思えて、





要するに支援が必要とわかりやすいタイプってことでね





もっと自分を見て!、自分の話を聞いて!っていう注意喚起行動に対して保育者が対応をきちんとすればいい




でも、、





表面的にはいい子で、隠れて問題行動をするタイプっていて、





それは大人の顔色を窺うようになってしまっている子どもで、





保護者や先生の前ではあいさつもして礼儀正しくふるまって、





友達同士では口も悪く、ひどいいじわるを思いついて実行してしまうようなで、、





そういう子って、表立って問題がないので、対応することが少ないので、





本当はいろいろ抱えていて、問題はあるのに保育者の影響力というか、支援を受けにくくなってね





スルーされてそのままになっていることが多くて、、





時々その子に問題があると発覚したりするわけだけど、





わからないところで起きてることが多く、発見もしにくいっていう、、




私の知ってるケースでは、





その子は両親共教育者で、





きびしく育てられていて、




お迎えに来られた時なんかにお母さんからよく、





『ごめんなさいって言いなさい!』って意見も聞かずに叱られていたり、





そんな子ってお家で自分を素直に出せているのか、居場所はあるのか、落ち着いて安心して過ごせているのかってね






とても心配になる





そんな子どもの本当の自分を見てほしい、話を聞いてほしいって想いが、





大人の前では顔色を窺って、いい子ちゃんをして、





影での問題行動になってしまうっていう、、





それに気づいて、保育者はできる限りのことをするんだけども、、





そういう子どもが将来、不満を抱えたまま、バランスがとれないで大人になって、





どうなっていくんだろうって、、、





なので親の前で、時にはわがままで、手のかかる子どもっていうのは、家が安全地帯になっていて、





外でのストレスを家でしっかりバランスをとることが出来ているってことで、、





素の自分を家で思い切り出せる!って大切なことなんですね



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障害のある人と向精神薬

2016年10月25日 | 障害児支援
この仕事をしていると、向精神薬を使っている子どもに出会う






薬を使うと落ち着きが出たり、人の話をよく聞けるようになったりする






それは人格が変わってしまっていると言えて、、






薬は直接脳のある部分に作用し、人の精神的な部分に影響



する
んですね





しかし明らかに性格が変わってしまっているので、、





その子の個性やらしさまで消えてしまっているように見えて、、





それは人権侵害まではいかなくても、、





周囲の支援の難しさ、保護者の子育ての難しさはたくさん見てきて身にしみてわかっている上でね 





第三者としてみると、、






脳の器質的な部分に問題があり、それを解消するのだから、怪我や風邪を治すために薬を飲むのと同じと考えるってこともあるけれどもね






そう単純にはどうしても思えなくて、、






それは体の部位ではなく、その人の人格、いわば本人であることの本質を変えてしまうところがあるからで、、






人であるかぎり欠点のない人はいないので、、





性格にしてもどこかしらに欠点(不全状態?)は誰にでもあるのに、障害のある人にだけ、薬を使うのはどうしてもすんなりと受け入れられないところがあって、、






家を破壊したり、周囲に暴力をふるったりで周囲や本人に危険が及ぶくらいの場合ならわかるんだけども、、





そういう場合、薬なしで理想的に支援をする方法はなかなかないんだろうって、、





薬を使わないで部屋に閉じ込めたり、体を縛ったりという方法になってしまったらそれはそれで、、ね





そうなると他の人権侵害の問題の方が大きくなるので、、





そこまでいかない場合はね





薬を使わずに周囲の支援者が大変すぎず、保護者も大変すぎないようにその子どもへのもっと様々な支援があれば済む話ではないのかなって、、





ある保護者の方がしみじみと言ってたことでね





今日は薬を飲んでなかったんで、この子らしいところがあったと思います☆って、、





これがこの子本来の姿だったと、、 





本来の姿にもいいところはあるんです!って






そんな保護者の想いを踏まえた上で、保育者は単純に薬を飲んでる方が支援しやすいからってことじゃなくて、、






あくまでも大変なのは保育者じゃなくて、





正しい行動ができず、またどうふるまえばいいのかわからない、本人であるって意識で保育者は支援するってことが大切かなって、、、



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バドミントン日本リーグ1部女子ダブルス

誤解されやすい子どもについて

2016年10月21日 | 保育士の向上

誤解されやすいタイプの子どもっていて、、





まず、言葉を話せる子どもは認知面や知的な部分も一定の水準にあると思われがちなんだけど、、





実際はあまり関係がないこともあって、、





多弁と思われるくらい、話が好きな子どもでも、





読み書き計算なんかがとても難しかったり、





手の操作がとても苦手なところがあって、





折り紙や工作が難しかったり、





ふとんを敷くという、大まかな作業も苦手であったりすることもあるので、





話せる=いろいろな面で支援が必要ないってことではないんですよね





これは障害のある子どもと関わった経験があまりない方は、かなり誤解を受けるところで、、





また、勉強が出来て、生活面での支援は全く必要のない子どもでも、



友達と一緒にするようなコミュニケーションの部分では、とても難しい面があったりするので、、



それは相手の気持ちを想像したり共感することや、





合わせるのがとても苦手なんですね





でも勉強はできるので、コミュニケーションについての文章問題をすると、





とても模範的な解答ができたりね





そういうSSTと言われるような支援を繰り返して、





少しずつ落とし込んでいったり、、





あと何か始めると終われなくて、切り替えが極端に難しかったり、





急な予定の変更にパニックになるくらい、





見通しがつかないようなことに不安になるってこともあったりでね





そのために事前に予定を伝えておくなどするんだけども、、





それを単にわがままだ!とか、





親が厳しく言わないからそうなったんだ!とかで、





本人も理解されず、保護者の方も辛い思いをするということがよくあってね





あと自閉症の誤解で、





自分の世界に閉じこもっている子どもって誤解があって、





自分の好きなことに夢中になって周りが見えていないように見えていても、





寄り添ってみると、全然扉は閉じていなくて、





一緒に楽しむことができたり、





関係性ができると、こちらの想いも理解できるし、





近寄ってきて、甘えてくることもあるのでね





一人で何かに夢中になっていたとしても、





こちらから寄り添って共感したりして関係性を作って、




いろいろな支援をするってことも可能であったりもします☆



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自己肯定感が低い子ども

2016年10月20日 | 保育士の向上

自己肯定感って大切だよねってことについて、、





まず生まれてきてこの世の中のことを肯定的に捉えるには、





自分を思い切り出せる経験をたくさんするってことが必要で、





そのために始めは泣くしかない笑





唯一のコミュニケーション手段であって、





空腹や気温、トイレ、体調、不快感、眠気、、などなど





欲求はいろいろあるけれども、





それに何度も応えてもらうことで、





この世の中は自分の気持ちを素直に表現してもいいんだってね





それもお腹の中で栄養や血液を共有して、においも同じである、





母親に叶えてもらうことで一層の安心に繋がって、





人生のスタート時点から自己肯定感を持つことができるんだって、、





その後もみんなと合わせることができるってことに重きを置いて、





様々なダメ出しをされるような育てられ方をするとやっぱり、






自己の評価が低くなってしまうんでしょうね






それよりも自分の特徴というか長所に注目をされるような育てられ方をすると、





自分個人としての価値を感じられるようになるんだろうなって、、





でも個性を認め合うようなことになってないってのも、





異質なものを排除するっていう、いじめに繋がったりそれはそれで問題で、





だからこそみんな自己肯定感が低いんだろうな、、





また虐待は虐待をする親が悪いんではなくて、、






子どもは虐待をされる、自分が悪いと考えてしまったりで、






その場合も不幸にも自己肯定感が育たなくて、






そういう子に対して支援する側はそれを特に意識する必要があるのかなって、、





また発達障害など障害のある子どもも一緒で、





ダメ出しがどうしても定型発達児よりも多くなるので、





自分の評価が低くなり、





自信が持てない、挑戦しようという意欲が持てない、失敗を恐れるということにもなりで、






支援する側としては積極的に褒める機会を作ったり、そういう機会を見逃さないようにするってことも大切になるかなって、、






あと過干渉というか、






子どもに選択権を与えない保護者ってたまにいて、






質問に対して、~だよね、~が好きだよね、とか






子どもの言葉を待てないで、先に言ってしまうようなこともね







それも自己評価が低くなりで、、






そうするとやっぱり子ども時代には失敗しても間違ってもいいから自分を思い切り出す経験をするってことが、




自己肯定感に繋がり、




他人も世の中もそして自分のことも信頼して、

 

 

 

幸せを感じつつ人生を送っていけるようになるんじゃないかなって、、、




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運動会を保育者として見に行くということ

2016年10月17日 | 保育士の向上
保育所での運動会は、





やらせる側の職員として参加するってことだけど、





利用してる子どもの保護者が見に来てて、利害関係がありすぎで、





いろんな意味で何倍も疲れるけれども、





子どもの成長を感じられて、





親と一緒によろこべる瞬間でもあったりね





そこは保護者アピールよりも子ども主役にしたいもんですが、、





それとは違って、、





例えば、学童クラブ支援員としてや施設支援員として学校の運動会を見に行くと、





子どもは単純にとても喜ぶもんなんですが、





それはなぜかな?って、、





まずサプライズ!ってことがありますね





なぜいるはずのない学校に来てるの?という意外性





そして他の子どもは知らない、その子どもからしたら自分だけの先生が来てくれてるって特別感があるのかも?





それは親が来くることと似てるのかもですね!





また日々練習をしてきて、頑張った成果をみてもらえるって嬉しさであったり、





かっこいいところを見て欲しい!とかいいところを見せたい!って気持ちとかね





結果はどうあれ、帰ってきたときに、頑張ってたなあって声かけすると、かなりホッとするというか





とても嬉しそうなんですね☆





保育者として学校なんかの運動会、体育祭、文化祭、学習発表会、作品展示会なんかを見に行くってことは、





違う形での自己実現体験になって、





自分や他人のことを信頼できるようになるってことに繋がるんじゃないかなって、、





私の場合可能な限り見に行くようにしていたのですが、





日曜だったりで、仕事が休みの日に見に行ったり、





(なぜ休みの日まで?って先生もいる、、見に行く時間は、休日勤務に入れるのが正しいのかもですが、、)





保護者さんや先生にご挨拶できたり、(ひそかにアピールになっている?笑)





子どもの席にちょこっとお邪魔したりして、





写真も取りまくりで、、もちろん撮影可の学校でね





あとで子どもと一緒に見るのも楽しかったり、、





ほんとに喜んでくれて、





普段見られない様子だったり、びっくりするような力を発揮していたりね





そういうのって誰でも誰かに見て欲しい!って思うんじゃないかなって、、





そう考えると、親が運動会を見に行くってことはそういうことなんじゃないかって思ったり、、、



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