芸人のネタが差別だと問題になったことについて考えてみようと
私は差別とは思わなかったんだよね
昔、やっていた元ネタも高校生の頃友達と笑ってみていた
その時も私個人は差別意識はなかった
ただ単に面白くて笑っていた
個人的には性的マイノリティに対して差別意識がない
私自身、障害のある子どもの支援をしていることもあって、
違いを認める意識が自然にあるのかもしれない
ただ、外国の方に対して異質な感覚があって引いてしまう、、
これは私の持つ差別意識なのかもしれない
差別だ!と思う人はそれを笑いの対象としているからなんだろうけども、
笑いって誰かを傷つけて笑いにしているところがあって、
実際に傷ついている人がいるのはわかる
ただそれが絶対テレビで笑いのネタとしてやっちゃいけないことかはまた別かなあ
いじめならいじめと本人が感じた時点でいじめなんだけども、
笑いがあるところには必ず誰かが傷ついていると思うしで、、
私も自分に関係することでテレビや周囲の発言にたまに傷ついているしね
ただ笑っている側が常に差別意識があるわけじゃないんだよね
そして話している側や演じている側も、、
そこが重要かなあ
あれを見て子ども中心に差別意識が助長するってこともあるだろうけども、
そこは親や大人の出番だろうって思うし、
芸人や番組自体が悪かったってことじゃないって思う
なぜ笑いになるかということを考えてみると、
テレビでも社会の中でもタブーになっていて、
自然な存在になっていないからじゃないかな?
テレビに出てくるのが珍しい、特別な存在としての扱いが多いから、
そのしぐさや話し方が笑いになる
身近で当たり前の存在だったら笑いにならない
あと人って異質な者を排除したり貶めることで、
自分や集団を守ろうとするところがあるんじゃないかって思ってて、、
だから教育や子育てで常にお互い違いや違う考えを認めようと教えるんじゃないかな?
いじめについても異質な者を認めないってところがあって、
差別でもあり人権侵害でもある
その異質な者を認めない意識がまだまだあるってことで、
そこは番組よりも大きな問題だと思う
学校でも職場でもいじめはあるし、
保育や教育でもみんなと同じようにできることを目標とされているところがある
そういうところが差別の根本解決のためにも必要じゃないかな
芸人の村本さんの発言で、
誰もがみんなに受け入れられているところがあるって、、
ほんとそうで、
みんな欠点や足りないところを他者に補ってくれているところがあるはずで、
違いを認めないって考えは、
自分も社会から弾かれていい!ってことで、
自分に返ってくることじゃないかな?
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