こんにちは☺
保育士の地位と保育の向上がしたい!保育士向上委員会ブログです!!
そういえば、昔、平常点ってあったなあって。
これだけ不登校が増えているということは、平常点について考え直さないといけないのかもって。
〈参考:不登校の現状と課題〉
不登校の原因については、本人や保護者と学校との間でズレが生じています。
学校側は、本人の意欲の問題で学校や教員自身の問題では無いと考えていますが、本人や保護者は、学校や教員との関係に原因があると答えています。
この見解の違いは、とてつもなく大きいと思われます。
また、全てではないでしょうが、自由な学校はいじめや人間関係の問題がない!と言われることがあり、
〈参考:いじめの少ない地域とその理由とは?!〉
なぜかというと、
規律やルールを意識しなくてもいいから、
はみ出る人、目立つ人、いら立つ人が少なくなるという。
規律があるからストレスが生まれるし、はみ出る子どもが出てくる。
そうなると、全体としてストレスを感じることも多くなる。
ストレスを感じたら、そこから自由に離れることができたら、
いじめる対象を探すマインドにならない。
規則を守らされることを過度に負担に感じる子どもは、
それを解消できる対象を探そうとしてしまうってこともあるだろうなって。
そして不快にさせられたら、すぐにそこから離れることができる。
授業を受けるも学校から出ていくのも自由。
届ければ。
その代わり、最低限の授業日数を受けないと卒業できないようにすればいいのかも。
何年かかっても。
それは学びの進み方がそれぞれ違うことを認めることになり、
みんな同じじゃなきゃいけない!という常識から解放されることであって、出る杭は打たれる的な差別の解消にもつながるってことで、
それがみんなのストレス解消に繋がる。
あと、元々発達凸凹や子どものタイプ、性格に偏りがあったりすると、平常点を上げることがなかなか難しい子どももいる。
本人には悪気はないのに。
具体的に行動を指示されないと動けなかったり、
正しい行動やいわゆる”いい子”と言われるような、周りの意図を読み取るのが難しい子どもも居る。
そのような子どもたちにとっては、平常点はとても不利ということになる。
学校の教員にとっても、6年なら6年とか3年なら3年で卒業させないといけないという、
プレッシャーや義務感がなくなり、
余裕をもって教えられるんじゃないかなって思ったりもする。
そのためには、卒業にかかる年数が人それぞれでもいい!という、
世間の共通認識が必要で、
それには平常点をなくすことが必要になってくるかなと。
平常点の評価って実際難しいって思うし、教員の負担も大きいだろう。
あくまでも教員からみた平常点であって、
友達や親から見た人物像もあるし、
社会で生きていくにはそっちも重要じゃないかなって。
教員にとって印象のいい人が評価が高いって、
結局は要領が良く、ずるい人なんじゃないかって思えるし(内申点を上げるためによく見られますが)
個人的な好みにも左右されそう。
基本的生活習慣の定着や人格については、何が正しくて、何が必要なのかという学びの途中であるし、
それが教育でもある。
〈参考:保育の目的って何?!〉
その時点の評価じゃなく、
社会に出てからどうなるかが大事なんだしね。
いくら学生時代ヤンチャしてても、
社会に出たらとてもまじめってことも大いにあり得るし、
逆もあるから。
なので、学校は平常点はなくし、客観的学力のみを評価するってことでいいんじゃないかな?!
もし、人物評価は必要というなら、
教員だけじゃなく、友達、親、本人の評価を全て記載するのが公平かもしれない。
それを先ほど書いた理由で、
伸びしろもまだあり、参考程度で重要視できるようなものではないという、
社会や見る側の心構えも必要かなあって、、
最後まで、教育の評価で、平常点って必要?をお読みいただき誠にありがとうございました!
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